ciccioneの日記

30歳を過ぎて見切りで会社を退職した人間が、再び収入を得るような仕事に就けるまでの日々を記録していきたい。

どうやらさっさと告白をしておいた方がいいようなので・・・

他のブログをやっている方々の記事を拝見させていただいていると、どうやらブログを始めてからしばらく経った後に綴ると、仕事に支障が出るかもしれないが、と前置きが必要になるようなので、無職の今のうちに自分の履歴のためにも辞めた理由を残しておきたいと思う。

結論から書くと、自分は躁鬱病と診断され他のは8年ほど前。
よくあるエピソードではあるが、入社して早々に毎日睡眠4時間程度のハードワークといわゆる人間関係(一応オブラートにしておいて)や、土日も仕事から抜け出せない性格などが重なり、入社2年目始まったばかりの時に、うつ病パニック障害を起こした。配属されて半年くらいで部署の10人程度の人が異動ないしは退職をされたというのもデカイ。

発病に関して人間関係、というのは大いにあるものの、そんなものはきっと世の中の人大半が嫌なものだろうし、そういうのに原因をなすりつけるよりは、自分の完璧主義と人に言われたような性格もまたそれなりに原因があったと思っている(一応)。で、休職中に躁転し、躁鬱病になった。

その詳細とか書き出すと長くなるのでここまでとし、辞めた理由になるのだが、この春から体調不安定ながらも内示を受け、久しぶりに営業に異動することになった。ただ、内示が出た同日に、年末くらいから物の覚えがはっきりしなくなってきていたことから診察の結果ADHDの薬を処方しよう、という話になった。経営会議にかける億単位の取引に重要な諸々を忘れたりしていて、ちょうど本人的にも当時結構焦っていた。

ADHDだ、という訳ではなく、その薬を治療のために処方されただけなのだが、ただでさえ躁鬱病で、睡眠障害(寝つきが悪い、中途覚醒早朝覚醒)が日々異なるので、定時に毎日出社できてる訳ではない。そこにもう一個乗っかるとなると、体調的に大変お忙しいことになる。

当時の部署は管理部門だったので、体調に合わせて当日の朝「半休します」とかできたが、営業に行くとなると取引先との関係が出てくる。さらに外回りは多いし、当然海外なんてこともある。そして年齢層だいぶ高めの部署となると、身内に対する気遣いも大事になってくる。そんなことを考えると、いやぁ、異動無理でしょ。となった。新しい行き先で何を担当するかなんて聞いて、「行きたくありません!」なんて会社員には言えないし。

それと同時に、躁鬱とお付き合いを始めて10年近く、この先これまでの人生と同じくらいの会社員生活を病気を抱えて送るのか、と冷静になって考えた時に、給与の安定とか会社名とか色々足し引きしてっても、会社員生活を続けること自体やっぱ無理でしょ、となり、辞めるという判断に至った。リゲイン飲んでもやっぱり24時間は働けない。

とはいえ内示はいただいてしまっている。なので、その先どうするかなんてことは考える時間的余裕もなく辞めることだけを進めた次第である。恐らく未だに会社にはいつの間にかいなくなっていると思っている人もいると思われる。

こういう人のブログって自分が病気持ちな分、要点かいつまんで書かれているのは理解しているのだが、長いなーと思っていたが、実際に自分が書いてみるとつらつら書いているからというのもあるが、やっぱり長くなるもんだと実感。

ま、誰が見ている訳でもないからいっか。さて、この先どうしよう。どこまでフリーでやってけるのかな。

ようやく整理ができました(ある程度)

会社を辞めてからもう1ヶ月以上経つけど、家の中には会社から持って帰ってきた荷物を一旦広げたまま、しばらくの間諸手続きを理由に放置し、

そのあと、養成講座に通いだしてからは、課題で忙しくなりしばらくご無沙汰の状態だった。

それをようやく今日部屋にしまいきれた感じ。もはや今掘り返し直してみると、なぜこんなものを持って帰ってきたのか、と思うものもある。

学生時代のものを掘り返すと懐かしくなって見返して見たりするもんだけど、会社のものって案外思い入れがないのか、先送りにしてた割にはさっさと終わってしまった。

これでようやくというか、とうとうというか本当に無職になったな、と軽く実感。ただ、講座の課題は残っているので相変わらず追われているような日々は変わらないのだが・・・

意外と忙しい

会社を辞めたら、次の仕事が決まっている訳ではないし、多少の暇は出来るものだと思っていた。

ただ、実際は退職に伴う諸手続きは落ち着いてきたものの、とある講座に通い始めたところ課題の提出が多く意外と忙しい。

日〜水までは課題の対応とかに勤しみ、木〜土までが休養日みたいな感じ。

まぁ、課題は興味があることについての講座に通っているので、全然楽しいものの、頭が凝り固まってしまっている元社会人としては結構時間を要する。

そう考えると学生をしながら、会社に勤めながら同じ講座に通っている方々はすごいな、と思う。

講評があるので、暇人であるからにはある程度一定の評価を得られないと若干困る、というプレッシャーが地味にある。

それが忙しさにつながっているのではあるが。

 

ということで、結局毎日書くのを目標にこのブログを始めたものの、早々にしてそれが守れず。

 

ま、誰も見てないし、カンケーないかw

保険証がないって・・・

会社辞めてから一番最初に困ったのは保険証がないことだった。

部署がら年度末の一番忙しい時期に突然辞めると言い出したものだから、年間通してやっていたプロジェクトの大詰めだったり、新年度に向けての対応だったり、引き継ぎだったりと、忙殺されている状態だった。

そんな中で辞めたものだから、保険証を返してすぐにして扁桃炎にかかり、手には変な湿疹が出た(因みに湿疹のあとは医者には消えると言われたが、シミのように残ってしまっている)。保険証がないと全額自己負担、これがなかなかの金額になるのである。まさかの痛手。後から申請すれば返ってくることは知っているが、それでもやはり全額負担は気持ち的に焦る。

健康なことが一番だが、こういう時に健康保険のありがたさを感じる。

 

それにしても途中まで書いて放置してたら、だいぶどうでもいい内容を書いていたものだ・・・

お題スロットに合わせて

お題「続けている運動」

続けている運動といえば「水泳」。

大学ではサークルに入って違うことをしていたけど、やっぱりなんか体を動かしたいな、と思うときは高校の部活だった水泳になってしまう。

でも別に真面目な部活ではなく、むしろ遊び人の集まりでプールで遊んでいたようなレベル。得意だから、とかではなくランニングとかも一時期していたが、結局ここにたどり着く。因みにこれは自分に限った話ではなく、友人においても同じらしい。というかむしろ彼の方がすごい。自由人でメニューを飛ばすのが当然だった彼だが、仕事で海外赴任になって家を探すという時、条件として25mプール付きのアパートとしたぐらいである。(NYで)

ただ、なぜ水泳を続けているのかは自分でも不思議である。確かに道具は少なくて済むし、一人で出来るから楽だが、いかんせんプールが遠い。そして冬は毎回泳いだ後に風邪を引く。それでも治ったらまた泳ぎに行く。

これってもはやちょっとした病気かな?

社会人になってさすがに健康のために泳いで、風邪ばっかり引いていたら元も子もない。そこで、女子のようだがピラティスを始めた。これはこれで意外と1年続いている。続けるのが苦手な自分にとっては意外な発見である。しかも結構通い詰めている。

とまぁ、この辺でつらつらと今日はお題スロットに合わせて書いてみたが終わらせようと思う。ブログを継続させて行くために。

あれから1ヶ月

1ヶ月ほど前、会社を辞めた。

 

ちょうど新卒入社して10年目を迎えた4月。

突然の退職、逃げたと思われるような辞め方だった。

 

次の職は何も決まっていないし、何をしたいのかもいまいち自分でも分かっていない。

そういう意味では近視眼的というか楽観的というか。

まぁ、思うところはあるが、いずれにせよ今は無職であることには変わらない。

 

これから何をしていくのか、退職後の諸手続きがひと段落した今、

次の収入を得る手段を見つけるまで、日々の生活や思ったことを記録として残しておこうと思う。

 

因みに、辞めた理由に関してはおいおい書きたくなった時に書くつもりでいる。