ciccioneの日記

30歳を過ぎて見切りで会社を退職した人間が、再び収入を得るような仕事に就けるまでの日々を記録していきたい。

扁桃腺というのはなぜこうも厄介なのか

今月2回目の風邪。1回目はただの風邪でラッキー。いや、風邪引くことはラッキーではないのだが。

この先週末はとうとう扁桃腺の腫れでKO。ほぼ毎月のように扁桃腺が腫れて高熱を出す。ここ最近の頻度は酷い。毎月のようになっている。先月は幸運にも腫れなかった。

病院に傘を杖代わりに行く。待ち時間は1時間。しんどいので診察室の奥のベッドで横にならせてもらう。そして、「腫れてるねぇ、やっぱ手術したら」という話に。

「ん〜、手術か、やっぱ。」と毎回思いながら、しんどいので抗生剤の点滴を打ってもらう。これで翌日くらいからようやく動けるようになる。

手術はなんやかんや痛いらしいし、あんまりオススメしないと他の医者は言うし、紹介状を書いてもらって一度総合病院に相談のつもりで行ったら、「じゃぁ、手術日いつにします?するかしないかはどっちでもいいですけど。」と手術前提で相談にならず。

結局保留。

10日間程度の入院生活は辛い。相部屋で睡眠薬を飲んで寝れるのか。自宅でもうまく寝れない時があるのに。なんてことも考えてしまう。

拘束の苦痛を取るか、毎度の高熱と喉の痛みを取るか。どうでもいいことが悩ましい。なぜ扁桃腺炎と言うのはこうも厄介なのだろう。

この夏も、やがてあの夏になる。

ちょっと作業が煮詰まってきたので、またコピーの話だけどブログを着手してみる。

以前も書いた味の素ゼネラルフーヅ(AGF)のコーヒーのコピー。中畑貴志さんが手がけたもの。

夏って、なんで開放的になる季節になのに、ふとセンチメンタルになる瞬間があるのだろうか、と思わされる。当たり前のように毎年やってきて、毎年のように過去になっていく夏。花火大会の時も、一瞬で散る姿を見るとちょっとセンチになる。

さて、誰目線で書かれたのだろうか。青春を謳歌する若者がふと思った言葉のようにも取れるし、お父さんが子供たちを見ながら思ったようにも思える。どちらかというと後者なのかな。お母さんにも取れる。きっと大人になり始めたら誰もが思う、普遍的な心を切り取ったものなのかもしれない。

お父さんだったら、昼下がり、一息入れようと思っている時に出かける様子の子供、出かけようと誘ってくる子供庭で遊んでいる子供を見ながら、いつまで自分の目の前でこの子たちが、思いっきり夏を楽しむ姿を見せてくれるのか。なんか束の間の一息を入れている時に、やってくるちょっとセンチな気持ち。そんな画が浮かぶ。1893年のコピーだから、何かと混沌としていた時代な記憶があるから、ほんとその一息いれるコーヒーの時に家族の様子に思いを寄せる感情が、ふわっと舞い込んでくるんだろうな。

毎日共にし、気分転換に飲むコーヒーだからこそ生まれる感情。だから一日一日を大切にしよう。この毎日飲むAGFのコーヒーと共に。

そんなメッセージのように感じる。これからの季節をちょっと先取りしたコピーを取り上げて見ました。

このコピーで商品を買わすとかではなく、ブランド想起の一番目に残すためのコピー。無理してAIDMAに当てはめるならMに訴求したコピーな気がする。

さ、整理ができたところで、午後の作業に取り掛かろ。

さよならしたばかりなのに、また、君に会いたくなりました。

こちら、1986年の牧野雄一さんが書いたファミリマートのコピー。

なんとも言えないまっすぐな青年のような言葉遣い。

ふとした時にちょっとしたものが欲しくなる。それも大抵”今”欲しい。そんな時は、だいたい夜で、当然お店は閉まっている。「24時間戦えますか」という時代に、すぐに必要なものが手に入らないなんて・・・そんな消費者の心の声に

「いえいえ、ファミリーマートは24時間幅広いラインナップでオープンしています」(勝手な想像の解釈ですが)

さっきノートを買いに行ったのに、今度は小腹が空いておにぎり買って、仕事や勉強が終わった暁には、ちょっと一杯飲みたくなってまたコンビニに。

もう買うものは買ったはずなのに、ちょっとしたら、また思い出したかのごとく買うものが出てくる。

そして気づいたら、笑顔で迎えてくれる店員さんに恋しちゃって、彼女に会いたいがためにコンビニ通いを始めちゃったりもしちゃって。お釣りをくれる時に添えられる手にちょっとときめいちゃったりする。

なんか単純にいつでも開いてます。じゃなくて、そんな人の心の動きも想像させる恋人間の会話のように仕立てたこのコピーは素敵ですね。

でも、多少不便だった方が幸せだったりもするんですけどね。時間に追われず、諦められて。

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タバコ全面禁煙ってホントにいいことなのだろうか。

最近、やたらコピーのことが多かったので、どうでもいいことも書いてみる。

別に政治に対する不満や思想なんてことは考えないで、一時期こんなニュースがあったので、思い出してちょっと書いてみる次第である。

なんでもかんでもが2020年がターゲットとされている中の一つ。タバコの全面禁煙。タバコは吸う側なので、悲しいことではあるが結構どっちでもいい。

そもそも相当仲良い人と飲みに行かない限りは、飲み会では吸わない。そして自分も吸うくせに人の煙に対しては臭いから嫌いという質。結構わがままな自分。

誰かテレビのコメンテーターの人も言ってたけど、条例で既に外でも吸える環境は少なくなってきた横浜は、屋外喫煙所の人口密集率が半端ない。そこからものすごい煙が発生しているから、結果としてそこの近くを通る人は結構しんどいことになるらしい。

吸い殻が回収されてないからか、それとも吸った人のマナーでちゃんと火を消さないからか、モクモクな状態。それが正しい姿なのかはいまいち謎。

禁煙のために海外の事例とかよく挙げられるけど、NYに行った時も禁煙の街だから「SMOKING FREE」とは至るところに書いてある。でも、逆に歩きタバコの天国である。というかそれが当然のようになっている。自分含めた観光客もそうしてたし。

頑張って正していくのが正義なのかもしれないけど、果たしてそれがホントにいい結果を産むのか。

まぁ、どう転んでも従わざるを得ない立場ではあるわけだけど、一番効果的なのはJTのあのハッとさせられる岡本欣也さんのコピーだと思う。

「たばこを持つ手は、子供の顔の高さだった。」

今のご時世、きっとみんな心のどこかで「迷惑」を認識している。

 

で、結局コピーの話になってしまった。。

 

 

母が恋した頃の夏に娘が近づいて行く。

コピライターの巨匠・仲畑貴志さんが書いた、味の素ゼネラルフーヅのコーヒーのコピー。(1988年)

コーヒーのほろ苦さというか、コーヒーの美味しさが分かるようになる年頃ってこれくらいの年齢なんだろうな。とちょっとセンチメンタルになるようなコピー。

コーヒーを毎日飲むお父さん、お母さん。とある夏の休日に、娘が一緒にアイスコーヒー飲み始めた。ガムシロップをちょっと入れて甘くして飲んで。きっと少女にとっては背伸びして、苦いと思いながらも飲んだコーヒー。

風がそよぎ、白いカーテンが揺れる。そんな姿を見て、お母さんがふと娘の成長を感じた、という画が浮かぶ。

食卓の真ん中にはAGFのコーヒーのボトルがいつもあって、家族の日々の変化を見守っています、といったようなメッセージなんだろう。

よくよく考えてみると、「娘が」という表現があるとお父さん目線のようにも感じる。でもそうなると「母が恋した」っていう表現に違和感を感じる。「妻が」じゃないんだ、っていう。逆にお母さん目線で見ても、やっぱり「母が」という表現ではなく、「ワタシ」という表現の方が合っているような気がする。ホントに自分のお母さんの恋をした頃を出してきたら、こんなおセンチな表現はできない。

そうすると、これってなんとなくコーヒー目線での切り口なように見えてくる。娘が物心がついた頃には生活の一部になっていた自分(コーヒー)を、娘も飲むようになってきた。生活の一部だからコーヒーにとっても親心があって、子供は娘になるんですね、きっと。

そんな娘も大きくなったな、と感じているお母さんを、側から見たコーヒーが、自分を買ってくれているお母さんの恋した夏に・・・ってまたちょっと思う。

家族の真ん中にAGFがある、そんな意味合いのことをすごく柔らかくした表現だなぁ。約30年の月日が経っても、送り手のメッセージを(勝手にではあるが)、読み手の自分が共感して受け取れるってすごいなって思う。

言葉の力おそるべし。

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逃げるは恥だが役に立つ

言わずと知れた昨年のヒットドラマ、通称「逃げ恥」。

恋ダンスやむずキュンだとかいろんなワードがこのドラマ。舞台が地元も地元。すぐそこが源くんの家ということもあり、1話から最終回まで欠かさず見ていた。巡礼する視聴者の方や、初詣に行くいつものお宮さんがいつになく混んでいたのをよく覚えている。

もちろんガッキー可愛いなぁと、源くんやっぱいいなって思いながら当時は見ていた訳だが、このドラマを昨日またエヴァに続き何となく見返したくなったので見てしまった。まだ一話だけだけど。

よくよく見ていると、当時から言われていたが、なかなかな社会派なドラマ。無職になった今、何となく主人公森山みくりの口にする言葉がよく分かる。とは言え、無職は自分で選んだ訳だし、仕事に対して必死な訳ではないけど。

「誰かに選ばれたい。」「理不尽さはなくても社会に必要とされていると感じられるから頑張れる。」確かに。前にそんなことをよく考えた時期もあったことはあったが、そんな時にこのドラマを見ていたらちょっと受け止められなかったかも。当時は、ロンバケの再放送を見ていたっけか。あのドラマもいいセリフあったなぁ。「何をやってもうまくいかないときは、神様がくれた長い休暇だと思って、無理に走らない、焦らない、頑張らない、自然に身を委ねる」という言葉。当時はこの言葉の方が助けになった。懐かしい。

脱線してしまったが、人が働くってマズローの五段階欲求説でいう「自己実現」のためとかいうけど、やっぱり、「社会への帰属的欲求」が第一義にあるんだろうな。何かに属していたい、誰かに必要とされたい。

昨日は「サラリーマンという仕事はありません」という糸井さんのコピーを書き出しで書いたが、やっぱり世の働く方々、大変だと思いますが、働けていること・今のお仕事に誇りを持ってお仕事頑張ってくださーい!

会社の歯車とは昨日書いたけど、仕事があるということは、それでもやはり社会に属しているという欲求が満たされている訳でありまして。

 

ま、そんなことより、何回見てもやっぱりガッキーは可愛すぎるw

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サラリーマンという仕事はありません。

昨日のブログに続き、今日も今の愛読書で開いたコピーの話を綴ってみたいと思う。

今日開いたページに書かれていたのは、ご存知、糸井重里さんのこの言葉。当時1988年の西武セゾングループがクライアントとして書かれたコピー。

「サラリーマンという」とgoogle先生に打つだけで、予測変換でこのコピーが出てくるのだから、その影響力というか流通力の凄さを感じる。このコピーのボディコピーまで読んでみたい。。

きっとこれを見た多くの人の心の中では、やっぱり当然だがハッとしたのではないかと思う。「世のサラリーマンたちよ」って言われたり、「サラリーマンは大変だよ」って自分たちで言ったり。でもよくよく考えて見たら自分の仕事って何だろうっていう。

「○○の営業をしています!」って言える人はまだいい。会社員時代の自分のように総務という同じ管理部門の中にいても、何をしているのかいまいちよく伝わらないだろうなって思う人は、「どこどこでサラリーマンしてます」って言っていたと思う。もうどこどこでと言ったら負けに近い。今でもサラリーマンが「会社員」という言葉に置き換えられてるだけで、大して変わらない。実際のところは自分でも何をしてるんだろうという小さな疑問が、誇りなきサラリーマンになっちゃってるんだろうな。会社名がステータスっていう。

そういうところに、安直な言い方になってしまうが、西武セゾングループは、グループってひとくくりにしてるけど、百貨店事業がありますとかクレジットカード事業があります、そしてそれぞれがしっかりと独立して事業展開しています、みたいな企業側のメッセージみたいのがあるような感じに受け取れる。いかんせんこのコピーから推測しての受け取り方しかできないから本当のところは分からないが。

すごーい大上段から語ってみたが、実際に自分も躁鬱で2年半近く休んだ時も、何事もなく会社は回り、蔑んで「歯車の一つに過ぎないんだから」と言ってる人の「歯車」感を否応がなしに実感した。あってもなくても変わらない歯車、必要のない歯車。

会社が周り続けなければ社会的にも困る。ただ、歯車の一つに過ぎないのにじゃじゃ馬のように働かなければいけないサラリーマン。何のために働いているのか、何とも言えないこの感じ。

とは言え、みなさまのおかげで世の中は回っているのです!世の会社勤めのみなさまがた、職種に誇りを持って頑張ってください!!総務だって、社内で理解されていなくても頑張ってんだ!(長文になってしまったから随分乱暴な終わり方になってしまった…)