ciccioneの日記

30歳を過ぎて見切りで会社を退職した人間が、再び収入を得るような仕事に就けるまでの日々を記録していきたい。

誘いは突然に・・・

「はーっ・・・」

役員プレゼンが微妙に終わった。これは、また同席した課長に小言を言われる。つくづく最近の自分のつかなさ具合が許せない。や、できなさ具合か。

「おい、檜山。今日夜空いてるか?」

でた、部長からの誘い。通称”ぼやきの山田”。このあと、課長経由で話が入って、今日のことのぼやきが入るのか。と、その前の誘いってことは余計長そうだ。それにしてもピンポイントの誘いなんて、なんて今日はついてないんだ。とりあえずぼやきに付き合うのには18時がお約束。定時までに仕事を終わらせなければ。既に15時、こういう時のNO残業デーは困りものである。

「どうだー檜山、調子は」

やばい、プッシュが入った。まだ10分前なのに。部長職は暇なのか?とついつい思ってしまう。もういい、明日に持ち越そう。

「部長終わりました」

「あ、あぁ。ちょっと先行っといてくれ」

は?ハーァ?プッシュしといて先に行けと。自由すぎる!なんてことは、口にできないから”すいません、ぼやかれるのでお先に失礼します”とちょっと大げさに準備で周りに訴えて会社を出る。

行くのは部長の行きつけ「串焼きいすゞ」。どうせいつもの10分後登場パターンだろうと、先に数品頼んでおき、ギリギリのタイミングでビールは頼む。悲しきかな、サラリーマンになって身につけた職業病である。案の定、部長は10分ほどして登場した。

「おー、すまないな」

席に座ると同時にビールが届く。いえいえ、と思っていないことを言いながら乾杯をする。我ながら絶妙なタイミングでの注文に満足する。その向かいでは部長がお手拭きで顔を吹いている。お手拭きなのに、なぜ顔を拭く、と毎回心の中でツッコミを入れる。さて、今日はなんのぼやきが始まるのだろうか。

「檜山、どうだ調子は」

「いやぁ、ぼちぼちです」

「ぼちぼちか。まぁそれは順調ってことだなっ」

いや、今日のを聞いていないのか、順調ではないに決まってるだろうに。と言っても、部長はそんなことお構いなしに徐々にぼやき出す。仕事について、社会について。それにしても、今日はお酒のペースが早い。いつもなら”ぼやきの山田”と言えども、女系家族だから酔いすぎるほどは飲まない。飲みすぎると、帰って妻と娘に嫌な顔をされるからと。でも素敵な奥さんと娘だと時々ぼやく。結局ぼやきなのだが。

1時間ほど延々ととりとめのない話をしたら、急に部長が真剣な顔に変わった。やばい、とうとうくるか。

「ところで檜山は、結婚どうなんだ?」

えっ?突然の変化球。こんな話今まで一度もしたことないのに。

「やっ、結婚とか正直イメージできないです…まだ30というか、でも、もう30というか。周りの同期は結婚してってますし」

「そうかぁ。お前30か。まだ30でも、もう30なんだよな。そうだよなぁ・・・」

なんか部長のトーンがおかしい。何かあったのか?家のこと?

「先週な、家に帰ったら娘が珍しくリビングに居て、私が食事をするときビールを注いでくれたんだよ。珍しいなって思って。でな、急に言い出したんだよ。明日大事な人に会って欲しいって」

「で、部長は会ったんですか・・・?」

「会ったよ。会ったんだけど、突然来るとこっちも何もできないもんなんだな。ダメだー!なんて気持ちにならないし、かと言って簡単にはよろしくとも言い出せない。ちいちゃい時の娘のことを思い出しちゃってさー・・・ちょうどお前と同じくらいの男だったな」

「で、部長はなんと?」

「いい娘になれよ、それしか言えん、と。しばらく黙ってしまったら、妻に尻をつままれたんだよ。そしたら、男の方も娘に尻つままれて、言い出したのに気づいたんだ。親子はそっくりに育つもんだな。それ見てさ」

「はぁ、いろいろあったんすね。でも、その彼すごいですね、しっかり一つ儀式を通過して。僕には、まだ無理そうですね」

そのあとも、部長の娘の話は続いた。なんで自分がこんな話を聞かされることになっているのかはよく分からない。ただ、とりあえず部長も暇な一週間を過ごしていたわけではないことが分かった。ご苦労様です。

時刻は21時を回っていた。もういい時間。部長に帰るように促す。これは家族を引き合いに出せば意外とすんなりできる。普段は。ただ、今日は部長がやや抵抗したのでしばらくまた付き合うことに。

そのとき、同い年くらいの女性が一人でお店に入ってきた。

と、そんなことに気を向けている暇なく、部長がまたぼやき出したので相槌を入れる。結局帰れたのは22時。部長を駅で見送り、家路に向かう。帰り道またいつものコンビニに寄ってビールを買う。

「216円になります」

蝉のうるさい夜だ。コンビニの喫煙スペースで一人ビールを飲みながら一服する。娘の結婚か、意外と大変なんだな。親の気持ちも。全くどの感情にも今は当てはまらないな。

「いい娘になれよ、それしか言えん。か」

部長は珍しくいい言葉言ったなと思わず一人で呟いた。