ツイッターとインスタを比べてみた。
ものすごく世の中の流れから遅れてツイッターとインスタグラムを始めて2週間ほど経った。そこで、SNS素人としてちょっとここまでの感想的なものをまとめてみたいと思う。
ツイッターは、なんだかものすごく難しい。何を呟けばいいのか正直考えずに始めたもんだからよく分からない。よってもって「いいね」もつかなければ「フォロワー」なんてものはついてこない。ここは推敲せねばならないな、という印象。単に流れ行く誰も見ないSNSの世界に、むやみやたらに石を投じているだけなのだから。
1.5万も「いいね」をされている人を見るとすごいと思う。というか、その人のスマホには1.5万回も通知がきているのか?と思うと正直想像のレベルを超えて、思考がもはや迷宮入りする。
でもみなさん呟きの文章がとても上手としか言い表せない。そしてよく人のツイッターを見ているなって思う。埋もれゆくツイートの中でリツイートされるって、どれだけ通知を見ているんだろう、とこちらも想像のレベルを超えてただただ感心をしてしまう。
どんどんいろんな人を「フォロー」していかなければいけないのだろうか。でもそうすると、気になる人の投稿が埋もれていく。見ようと思うと時間を今度失っていく。
さて、続いてインスタについてだが、こちらは画像に勝手に名作コピーに文章をつけてアップしているだけ。でも「#インスタ小説」という狭いカテゴリの中で投稿しているから「いいね」は比較的もらいやすい。そもそも小説のていを成していないのだが、そこは気にせずアップしている。
ただ、これもれっきとして文章を書かれている人に比べると、鼻くそみたいなレベルの域ではある。ここで気になるのが、日本語で文章をつけてアップしているのにも関わらず、「いいね」をしてくださるのが外国の方が多いのである。韓国人とか中国人とか。
ここから察するに、文章なんて関係なく写真としていいなと思って押してくれているのだろう。だから「フォロワー」にはなりにくい。でも気になるのは、ツイッターと同じく無限に溢れている写真の中から「#インスタ小説」というハッシュタグを付けてアップしているだけなのに、”外国人の方が”「いいね」を押してくれるというところ。
自分も人の画像を見ることになっているけど、それは「フォロー」している人のみ。そう考えると、「いいね」を押してくれる彼らは、とてつもなく日本語の「#インスタ小説」というのをわざわざ見てきているのだろうか。そうなると日本語読めるの?っていう疑問が。
まだまだツイッターとインスタはよく分からない。これからも動向を見つつ、むやみに呟いたり、アップしたりするのではなく、PDCAを回していかないといけないんだろう。
とりとめのない結論だが、今日はここまで。
一人飲みも悪くない。
今日は一人でいすゞに来た。いつもなら部長と一緒だが、部長は娘さんの結婚式の云々で誘ったものの珍しく断られた。あまりにも珍しく、つい驚いた顔をしてしまった。
「なんだ、おかしいか?」
ついつい出た自分の表情を読み取られてしまった。でもこちらからの誘いに悪い気がしないといった顔を部長はしていた。
いつもと同じ小道を進んでいく。表通りは人通りが多いのに、この道一本入るだけで随分と雰囲気が違って来る。ネオン街ではなく、民家のような静けさの中にある一見普通の家なんじゃないかと思う店構え。
店の中はいつも通り、そこそこ人が入っている。意外と一人で来るのも久しくなかったので、ちょっと緊張してしまった。
でも注文はいつも通り、唐揚げにハイボール、枝豆に豆苗の炒め物を頼んだ。ここの豆苗がうまいのである。さっと炒めただけなのに、なぜかご飯が何杯もいける美味しさになるのである。
ハイボールを飲みながら思う。このお店に彼女は一人で来ているのかと。最近はお店でも滅多に見ないから思い出すことがなかったが、いざ彼女が座っていたカウンター席に着いてみると思い出す。そして思う大人だなと。
その時、お店の戸が開いた。まさかの彼女が入って来たのである。慌てて会釈をする。向こうも気付いたらしく会釈をしてくれた。どうやら覚えていてくれたらしい。なぜか少し安堵した。
座る席を探しているようだったが、そこは間髪入れず店員が空いていた自分の隣の席を通した。会釈したから、待ち合わせの客だと思ったのだろうか。こういう時、なんて声をかけたらいいのだろう。迷いながらも言った
「お久しぶりです」
が、なんともハモってしまった。二人して苦笑。待ち合わせの客でもないのに会話を探している自分。なんとも滑稽だ。
寒い日が続いておりますが。
実家から会社に通うようになってしばらく経った。
どこか高校時代に戻ったような気分になる。大学に入ってから一人暮らしを始めた。家が嫌だったわけではない。ただなんとなく家から出てみたくなった。
だから自分の部屋は高校時代のまま止まっている。使わなくなった机、高校時代の写真、当時ハマっていたちょっと背伸びした洋服たち。
そんな部屋で過ごしていると学生のような気分になる。やっぱりたまには実家もありかもしれない。起きたら用意されている朝食。帰ってきたら待っている温かい夕飯。沸かすことなく入れるお風呂。
ただ、どこか居心地の悪さを感じることがたまにある。しばらく離れていたから体が慣れていないのかもしれない。
時折、会社帰りにいすゞに行ってみたくなる。慣れてしまった一人での食事。濃いめのレモンサワー。来るかも分からない人を待つあの感じ。
やっぱり週末には自分の家に帰ろうかな。
このまま居ては前に進めない気がする。いや、前には当然ながら進んではいるんだけど、どこかそう感じるのは、やはり自分の部屋の時が止まっているからかもしれない。
家に帰ってきてからの方が仕事が順調になった。でも、私生活においてはダラけてきてしまっている。ここは自分の気を引き締めないといけない気がする。
春になれば一斉に物事が動き出す。そのためにも自分も今から動き出す準備をしなければいけない。
どうしても消化できないから、ここに残してみる。
・LINE晒しに合うかもよ。
・別れ際のLINE晒し、という恐怖。
・所詮は、スペア。
・バレても修羅場、略奪しても修羅場。
・どうやら不倫する女は、依存心が強いらしい。
・長引くと、婚期を逃しますよ。
・スペア女、婚期を逃す。
・不倫で、一番刺激的なのはバレた時。
・一般人は、文春砲の代わりに、SNS。
・恋バナできない恋は、つまらないじゃん。
・愛の囁きは、恨みの呟きになるかも。
・一度会う時の相場は、5万円。財布が寂しくなるなぁ。
・デリヘル嬢と、紙一重。
・その恋は、ハッピーエンドで終われない。
・もしかしたら、別れさせ屋かも。
・LINEの相手は、ホントに彼ですか?約3割は、奥さんがなりすましているらしい。
はぁ、誰が見るか分からないけど、消化不良だったもんが吐き出せた。
不倫、不倫はよくない。でも知人曰く身の回りにはよくいるらしい。
これを出せてたら何位に入れてたんだろう・・・失態だ。
15分間速歩をやってみた。
最近座ってばっかだったので、先週くらいから15分間速歩を始めてみた。
なんともOLというか主婦的な発想。
今までコピーをウンウン言いながら書いていたので、だいぶの運動不足で体重も増加。かといってランニングをすると膝が弱いからすぐに足を痛める。それにタバコを吸いすぎて、肺が辛くなる。もともと水泳をやっていたから泳ぎたい気持ちもあるのだが、なぜか泳ぐと翌日風邪を引く。これじゃあ本末転倒だと思い、始めたのが15分間速歩。
なんかいい運動はないかなー、とネットサーフィンをしていて発見!でも体重が減るのは5ヶ月後という気の長い話だ。でもやらないよりはやった方がいい。ということで先週ぐらいから始めてみた。
やり方は簡単。正しいのかどうか分かんないけど、3分歩いて3分早歩きをするというもの。音楽を聴きながらだと、ちょうど1曲ぐらいで分かりやすいというので、ネット情報を鵜呑みにしてやってみる。
考えてみれば公園でおばちゃん達がやってるようなものか。
なのに、これがやってみるとなんとも情けない姿。早歩きをしているのにあんま早歩きになっていない。胸だけが一生懸命進もうとしているものの、足がついてこない。大股歩きでかかとからしっかりと踏んで歩くというのに、足が上がらないから、ただただ一生懸命腕を振っているだけのような様。
いい歳した男が何をやってんだ・・・でも歩いている時はなぜか脛の筋肉をよく使う。そしてそれなりに大股で歩いているからか、ケツが筋肉痛になる。お尻のシェイプアップにはいいかもしれない。
運動せねば会社員時代に着ていたスーツをもう一度着ることも危うい状況。ここは恥を捨てて、春を見込んで速歩をせねば。って、もうちょいまともな運動をしなさい、と分かっているのだが。
でもこれで5ヶ月後に結果が出ていればすごい。そう信じて今日もまた歩きます。
最近聞いた気になる話。
これは知人から聞いた話。
SNSが普及し、いつでも誰とでも繋がれる時代になって久しくなった。同じ好き同士でコミュニティを作ったり、好き同士で出来事をシェアしたり。
SNSによって世界は一見広がったように思う。
でも、実際の人間関係においては少し不自然なことらしい。好き同士で集まると、そこには苦手な人、嫌いな人が入らない。
実際の社会においては、好きだけで人と人は繋がっていない。嫌いな人とも当然一緒になることもあるし、生きていれば避けることのできない苦手な人だって出てくる。
それでもSNSが発達したことによって、そういう人と付き合わなくていい環境ができた。そういう人がいても逃げることのできる別の世界が持てるようになった。
嫌いな人、苦手な人、意見が異なる人、そういう人たちから意見をぶつけながら、色々学ぶことによって人は知見を広げていく。でも同じ価値観を持つ人同士で集まると、似通った意見だけが情報として入ってくる。
興味関心のある人とコミュニティを作る。フォローする。それもいいことではあるが、それにより視野が狭くなってしまうことも意識しておかなければ、人間的な成長が鈍化していくこともなきにしもあらずのようである。