ciccioneの日記

30歳を過ぎて見切りで会社を退職した人間が、再び収入を得るような仕事に就けるまでの日々を記録していきたい。

お酒の力を借りればどうにでもなる。

久しぶりの飲み会。

お別れしてから4ヶ月近く。毎週のように飲んでいた仲間と新年会と称して飲み会があった。お別れの頃には関係はちょっとギスギスしていた。自分がイライラしてしまったからなのだけども。だから飲み会に参加するのもやや躊躇しているところがあった。でも、これ以上距離が開くときっともう戻れないと思って参加した。

会って最初は若干気まずい雰囲気だった。自分の中で勝手に。この人とこの人は久しぶりじゃなかったんだ、この人たちは知らないところで連絡を取ってたんだ。そんなことが気になってしまっていた。でもよくよくお酒が進んでいくと、そんなことがどうでもよくなってくる。

つい最近、ドキッとすることを言われた。

「お酒が入ると際どい発言をするんですね。」

記憶は全て残ってるし、自分がどういう発言をしたかもしっかりこの歳になると覚えている。だけど、側から見るとどうやら際どい人間に映るらしい。だからか年相応に見られない。

でも今回はそれが奏功した。距離が開いてしまったと思っていた人や、何を話せばいいのだろうと思っていた人たちとも、4ヶ月前のようにすんなり話せた。バカみたいに盛り上がれた。お酒があるとなんでも解決できるものなのかもしれない。もちろん相手が合わせてくれてるのもあるのかもしれないが。

同じ方向を向いてきた仲間だ。「友達ごっこしてるつもりはないし!」なんて意気がっていた当時の自分がちょっと恥ずかしい。当時はライバルだったけど、友達でもいいのかもしれない。今となっては、くだらない話に終始してもいいのかもしれない。

お酒が飲めない、なんて人もいるけれど、自分はお酒大好き人間でよかったと思う今日この頃。

それでも、人は利害関係で繋がっているとは思ってしまう。それは一緒にいて心地よいか否かという意味でもあるが。

いつから一人が好きになったんだろう。

いつから一人が好きになったんだろう。

ベランダで一人佇みながら考える。

学生時代は、常に輪の中にいた。どこか斜に構えたスタンスでいたものの、学校という狭い社会のカーストの中で、頂点に立つグループの中に自分はいた。トイレでだべったり、屋上に侵入しては好き勝手に遊んでいた。

大学に入って、少し様子は変わった。中高のようなカーストはないものの、それでも常に誰かと一緒にいた。特に女子と一緒にいた。同性同士のノリに何となく疲れはじめ、程よい距離感で居られる女子と一緒にいることが多くなった。だから、女性関係には困ることがなかった。なんて言うと、やや偉そうなもの言いになるが。

社会人になってからは、競争を意識しだした。仕事に没頭した。昔から完璧主義と言われていたことが、ここになって如実に出てきたように思う。誰にも負けじと、早朝から出社し、日をまたぐギリギリまで仕事をした。「お前の同期は使えないなぁ」と先輩に愚痴られると、こいつらと一緒にされたくないとよく思っていた。

だから上司や先輩からの「檜山ー、今夜空いているか」には付き合うものの、同期からの誘いは、極力行かないようにした。友達ごっこをしている訳ではあるまいし、と。そうしているとだんだんと腰が重くなってきた。社歴も10年を越えると、そもそもそう言う声がなくなってくる。

プライベートにおいても億劫になってきた。大学時代に遊んでいた子達は、みんな結婚し、女性が多かったから疎遠になっていった。同性の友人たちも、どこか距離を置いていたから連絡を取ることも無くなっていった。それでもよかった。全てが面倒に思えてきたから。

そうこうしているうちに同期はそれぞれ結婚していき、家庭を持ち同期会も減ってきた。気づけば、「檜山ー」と自分を呼ぶのは、先輩と上司が大部分を占めるようになっていった。もちろん後輩を連れて飲みにいくこともある。それでも先輩後輩の関係である。自分の方から何でも言える仲ではない。

仕事に没頭しすぎて私生活の方もおろそかになっていった。時々自分は何をしてるんだろうと思うことが多くなった。

そして今、またベランダで同じようなことを考えている。一人でいることも寂しくなくなった。こうなるともう人間としてダメなんじゃないだろうかと。でも、もしかしたら強がっているだけなのか。

そんなこんなを考えながら、冷たい夜風に当たりながら、一人缶ビールをまた一つ空ける。タバコを吸いながら。

眠れない明け方には・・・

久しぶりに朝まで飲んだ。何なら昼前までと言ってもいいくらいの時間まで。

この歳になると明け方まで飲むのは体力がいることをつくづく思い知らされる。朝、人が出かける時間の電車に揺られ家路につく。いつもならこれから出かけるという人たちが乗っているように思うが、今日に限っては同じように朝まで飲んで帰るのであろう、疲れた人たちの姿がよく見える。みんな色々抱えてるんだなぁって思う。

電車を降りると朝日がいやに眩しく感じる。昔していた朝帰りもこんな明るい太陽に照らされ、体はこんなにも気だるさを感じながらしていたのだろうか。

眠い。

帰ったらお風呂は置いておいて、横になりたい。

そう思って布団に入った。でもなぜだか頭のどこかが覚醒しているのか、なかなか寝付けない。外ではご機嫌な鳥のさえずりが聞こえ、カーテンから時折溢れる木漏れ日は、もうそれだけで十分眩しいほどだった。

結局横になったのは2時間程度。だるさは拭えない。

熱めのシャワーを浴び、コーヒーを淹れる。久しぶりにエスプレッソマシンを使って淹れてみた。ポトポトと抽出される音と共に香ばしい匂いが拡り、それだけでも少し目が覚める感じがした。砂糖を入れ、ぐいっと飲み干す。濃いめのエスプレッソは胃に染み渡っていく。

さて、今日は何をしよう。まどろむ頭の中で、することはないであろう1日の予定を考えていた。

インフルエンザ流行中・・・

現在、我が家はインフルエンザが蔓延中。

ことの発端は、1歳になる甥っ子を親が面倒を見に行ったこと。インフルにかかってるとは思わず世話してたから、案の定もらって帰ってくる。

母親がインフルと判明したのは、その3日後だったかな。しばらく寝込む母。父は働いていると言っても、18時過ぎに帰ってくるからご飯はみんな一緒。この歳で毎日19時には夕飯なんて、なんて規則正しい生活なんだっていう。しかもみんなで一緒に。やや恥ずかしい話でもある。

ちょっと脱線したが、母は軟禁状態の生活をしていたので、接点はなかったはずなのだが、一緒に食べていた父親がインフルになったことが今週の頭に判明。

狭い我が家で2人もインフルが出るとは・・・もう自分がかかるのも時間の問題かもしれない。

今度は父親がしばらくの軟禁生活の状態に。

なのに、まぁよく部屋から出てくるもんだ。インフルのB型は熱がそんなに出ないから暇なのか。そんなうろちょとされると感染るじゃないか。今日で5日目なものの外にまで出かけちゃうわけ。で、作業しているリビングでご飯を食べようとするわけ。勘弁してくれ。感染るやないかい!

うろちょろしているのに、次に会社に出社するのは日曜らしい。あと3日は距離を置かなければいけないという話。昨日からインフル第一号の母親は、晴れて治ってタイへ旅立った。もう父親とマンツーマンの状態。これで自分がインフルにならなかったら我ながらなかなかな耐性だと思ってしまう。

インフルの流行はしばらく外の出来事かと思っていたが、不意に襲われることを改めて実感。

んーどうでもいい内容だった。

初仕事ー

初仕事って言ってもお手伝い。

まだ結果がどうなるかなんて分からないけど。

実際にコピーを書いてみると難しい。

課題の方が難題だったっちゃ難題だったが、これが本当にワークするのかどうか。正直いまいち本人的にはコレ!ってのが出てこなかった。

切り口が余りにも少なかったなー。それでも”初”ということを言わなきゃならんので、それをどう伝えるか、というところだったのだけど。

これがどう転ぶか。

とまぁ、開示できないことを書いても何のこっちゃの話だが。

でもできる範囲のことは頑張った!今日丸々一日かけてやったわけだし。あとは神頼み!

本日は晴天なり。

父も結局は何も言ってこなかった。

「おー」

と言ったきり、何事もなかったようにお風呂に入り、食前にビールを飲んだ。久し振りに晩酌に付き合ったけど何も聞いてこない。会話をしてもなぜだか一旦母に話を振る。まぁ、この父のことだから私が部屋に上がった後にでも母に理由を聞くのだろう。

いつもそうだ。

しかし、お酒に弱い父は食後しばらくしたらニュースを見ながらうとうとしだした。こういう姿を見ていると、なんだか親も歳を取ったなと思う。

母の作るご飯はそれにしても美味しかった。口に合っているのだろう。それに比べ、自炊している料理は何とも味気ないと思う。長く一人暮らしをしていると、誰かのために作る訳でもないから手抜きになる。それにいつもお酒を飲むから、つまみのような料理にしかならない。

翌日、何となく実家に帰ってきて、一人暮らしとの違和感を最初感じていたものの、気づけば随分と寝てしまっていた。両親とも既に仕事で不在だった。

母がいつも家で焼いているパンを食べながら、何となく明日からのことを考える。せっかくの休みなのになぜか頭がそっちに働いてしまう。こんなに仕事バカになったのはいつからだろう。

特に予定もなく取った夏休み、どこ行くあてもなかった。まぁ天気がいいだけなによりだ。みなとみらいに買い物に行ったり、映画を見に行ったりしてもよかったけど、せっかく家に帰ってきたんだし、家でのんびりしよう。

でも、あれやこれや考えた挙句、結局のんびりの仕方がいまいち思いつかず、考えるのが面倒になったので、昔読んでいた本を持ち出し、厚めの服を着、屋上でビールを飲むことにした。

自分んちでしていることと変わらない。そんな情けなさにも似た背徳感を感じつつ、陽だまりの中のんびり過ごすことにした。

30過ぎの女が呑気なものだな、と我ながら思い苦笑した。

前に進めるかどうかなんて自分次第

久しぶりに帰省した。

降り立った妙蓮寺の駅は、随分と様変わりしていた。若返っている。美容院はやたらあるし、フィットネスクラブまでできて、お洒落なパン屋などもできている。たかだか数年ぶりに帰ってきたに過ぎないのに。

それでも病院の数はやたらと多い。その辺はあまり昔のこの町と大きくは違わない。

今住んでいる多摩川から遠くない。ほんの30分くらい。でも帰る理由もないから年末年始さえ帰省することはなかった。というかこんだけ近くに住んでいれば、帰省というのも言葉が違うような気がする。

横浜まではよく出る。でも、どうしてこの町はスルーしてきたんだろう。同級生も一人暮らしを始めて帰ってくる理由もなくなったからかな。いつでも帰れるから帰ることがない。

「ただいまー」

「あら、千恵どうしたの?」

母が迎えに出てきて驚いていた。やはり暫く振りの娘の帰宅には驚いたらしい。そりゃ、そうだ。日頃軽く連絡を取っているものの、滅多に帰ることがなかったから。それに平日の昼間に小さなスーツケースを抱えて帰ってきたのだから。

「いや、なんとなくしばらくはこっちから通おうかなって思って」

「あらまー、珍しい。まぁ、お茶入れるから上がんなさい」

久しぶりの家。案外悪くないかもしれない。父に会わなければ、だが。

「どうしたの急に?」

母は当然のことを聞いてきた。

「や、なんとなく、久しぶりに実家に帰ってくるのもありかなと思って」

母は少し嬉しそうに微笑んだが、それ以上は深入りしてこなかった。

ほんとは仕事が忙しくて、ちょっとしたエスケープがしたくなった。何もかもが嫌になった訳ではないけども。でも、今日明日は遅い夏休みを取って帰ってきた。

この家は変わらないな。相変わらず母の荷物は多いし、母は仕事と趣味に追われてるし。今日だって習い事のイタリア語を勉強していたらしい。

お茶を飲みながらしばらく母と話をした後、日が沈まないうちに久しぶりに近所の八幡さまへお参りすることにした。

30過ぎて迷える自分。今後どうしていったらいいのでしょう。なんて神様に相談してみる。