ciccioneの日記

30歳を過ぎて見切りで会社を退職した人間が、再び収入を得るような仕事に就けるまでの日々を記録していきたい。

逃げるは恥だが役に立つ

言わずと知れた昨年のヒットドラマ、通称「逃げ恥」。

恋ダンスやむずキュンだとかいろんなワードがこのドラマ。舞台が地元も地元。すぐそこが源くんの家ということもあり、1話から最終回まで欠かさず見ていた。巡礼する視聴者の方や、初詣に行くいつものお宮さんがいつになく混んでいたのをよく覚えている。

もちろんガッキー可愛いなぁと、源くんやっぱいいなって思いながら当時は見ていた訳だが、このドラマを昨日またエヴァに続き何となく見返したくなったので見てしまった。まだ一話だけだけど。

よくよく見ていると、当時から言われていたが、なかなかな社会派なドラマ。無職になった今、何となく主人公森山みくりの口にする言葉がよく分かる。とは言え、無職は自分で選んだ訳だし、仕事に対して必死な訳ではないけど。

「誰かに選ばれたい。」「理不尽さはなくても社会に必要とされていると感じられるから頑張れる。」確かに。前にそんなことをよく考えた時期もあったことはあったが、そんな時にこのドラマを見ていたらちょっと受け止められなかったかも。当時は、ロンバケの再放送を見ていたっけか。あのドラマもいいセリフあったなぁ。「何をやってもうまくいかないときは、神様がくれた長い休暇だと思って、無理に走らない、焦らない、頑張らない、自然に身を委ねる」という言葉。当時はこの言葉の方が助けになった。懐かしい。

脱線してしまったが、人が働くってマズローの五段階欲求説でいう「自己実現」のためとかいうけど、やっぱり、「社会への帰属的欲求」が第一義にあるんだろうな。何かに属していたい、誰かに必要とされたい。

昨日は「サラリーマンという仕事はありません」という糸井さんのコピーを書き出しで書いたが、やっぱり世の働く方々、大変だと思いますが、働けていること・今のお仕事に誇りを持ってお仕事頑張ってくださーい!

会社の歯車とは昨日書いたけど、仕事があるということは、それでもやはり社会に属しているという欲求が満たされている訳でありまして。

 

ま、そんなことより、何回見てもやっぱりガッキーは可愛すぎるw

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サラリーマンという仕事はありません。

昨日のブログに続き、今日も今の愛読書で開いたコピーの話を綴ってみたいと思う。

今日開いたページに書かれていたのは、ご存知、糸井重里さんのこの言葉。当時1988年の西武セゾングループがクライアントとして書かれたコピー。

「サラリーマンという」とgoogle先生に打つだけで、予測変換でこのコピーが出てくるのだから、その影響力というか流通力の凄さを感じる。このコピーのボディコピーまで読んでみたい。。

きっとこれを見た多くの人の心の中では、やっぱり当然だがハッとしたのではないかと思う。「世のサラリーマンたちよ」って言われたり、「サラリーマンは大変だよ」って自分たちで言ったり。でもよくよく考えて見たら自分の仕事って何だろうっていう。

「○○の営業をしています!」って言える人はまだいい。会社員時代の自分のように総務という同じ管理部門の中にいても、何をしているのかいまいちよく伝わらないだろうなって思う人は、「どこどこでサラリーマンしてます」って言っていたと思う。もうどこどこでと言ったら負けに近い。今でもサラリーマンが「会社員」という言葉に置き換えられてるだけで、大して変わらない。実際のところは自分でも何をしてるんだろうという小さな疑問が、誇りなきサラリーマンになっちゃってるんだろうな。会社名がステータスっていう。

そういうところに、安直な言い方になってしまうが、西武セゾングループは、グループってひとくくりにしてるけど、百貨店事業がありますとかクレジットカード事業があります、そしてそれぞれがしっかりと独立して事業展開しています、みたいな企業側のメッセージみたいのがあるような感じに受け取れる。いかんせんこのコピーから推測しての受け取り方しかできないから本当のところは分からないが。

すごーい大上段から語ってみたが、実際に自分も躁鬱で2年半近く休んだ時も、何事もなく会社は回り、蔑んで「歯車の一つに過ぎないんだから」と言ってる人の「歯車」感を否応がなしに実感した。あってもなくても変わらない歯車、必要のない歯車。

会社が周り続けなければ社会的にも困る。ただ、歯車の一つに過ぎないのにじゃじゃ馬のように働かなければいけないサラリーマン。何のために働いているのか、何とも言えないこの感じ。

とは言え、みなさまのおかげで世の中は回っているのです!世の会社勤めのみなさまがた、職種に誇りを持って頑張ってください!!総務だって、社内で理解されていなくても頑張ってんだ!(長文になってしまったから随分乱暴な終わり方になってしまった…)

大変なことが多い人。略して大人という。

最近の愛読書「傑作!広告コピー516」の中に掲載されている佐藤康生さんの安田生命保険の広告コピー。

大人になると仕事、家族、自分の体調管理、親の介護など、何かと学生の時にはなかったことが増え、日々忙しいものや大変なことが多くなってくる。それは歳を取れば、一層いろんなものが乗っかってくる。

大人は大変なんです。だから万が一のためにも、保険に入っておかないと。安田生命は忙しさに沿った保険を用意しています、という内容のコピーなんだと思う。(だから、と入れるとちょっと脅迫みたいになるけど)

でもこのコピー、だから保険に入りましょう、という以上になんかすごい納得感がある。そもそもこの本に記載されているものはどれも秀逸で、素晴らしいコピーばかりなのだが。同じ大人のカテゴリーでも「いろいろ奪うと、大人ができる」なんかも確かにー!ってなる。

今回この佐藤さんのコピーを引っ張ってきたのは、なんとなく自分が大人なのか?とちょっと思っていた節があったから。

最初は、「そんな切り口もあるか!」という感銘と、きっと当時は、多くのおじさんたちが救われたって顔をしたんだろうな、という画が浮かんだ。「だから」っていう感じの角をとって丸くした表現はすごいなぁとか。そんな印象を受けた。そういう状況が当時のターゲットインサイトだったんだろうなと。

とまぁ、そこから派生してというか自分の話に置き換え転じるのだが、仕事で体調を崩して、それが基本ではあるが、まずは仕事を捨てた。ついでに毎朝・毎晩の通勤ラッシュのストレスも捨てた。そういえば会社という人間関係のストレスも捨てた。1日の大半を占めていた大変なことを捨てた。

家族はいるけど、そもそも「養う」家族はいない、家のローンもなければ車のローンもない。一番は躁鬱という病状との付き合いが大変だけど、社会的に大変なものは仕事を辞めることで一気になくなった。収入がないお困りごとはあるけども。

そうなると成人ではあるけど、大人という自覚が薄くなる。自覚が薄くなると、全般的にルーズになってくる。寝たい時に寝ようと思えば寝れるし、昼から酒が飲みたいと思えば好きなだけ飲める。約束も昔のように大概時間が守れない。何かするのにも、会社に迷惑がかかるからとかそんなものもなくなる。(や、何かしたら前職の名前は出るかもしれないけど。)

大人の定義ってなんだろ?って思った時に、この言葉って非常に哲学的に思えてきた。深いなぁと。確かに忙しい人は余裕がない感じが浮かんでしまうけど、大変な人はそれはそれ、といったスタンスで立ち振る舞っていそうなイメージ。大変なことを背負っているからしっかりしなければと意識が働いて、それが大人の魅力に繋がるんだろうなとも思う。

多分今同期に会ったりすれば、もしかしたら相手が後輩でも、落ち着きがあって大人っぽいんだろうな。最近やたら若く見られるのもその経験からくる味が出てないんだろうな。

そう考えると大人って意外と悪くなかったのかもしれない。でも会社を辞めたことは全く後悔はしていないが。やりたい勉強できてるし。

さ、公募の作品に取り掛かろう。

息抜きにこういう傑作と言われるコピーを取り上げて自分なりの解釈を書き残していくのもありかもしれない。

最近怠け癖が酷い・・・

最近はだいぶ会社生活から離れて怠けてきた。しかも親の健康保険に扶養として入る条件に、働く見込みがないことというのがある。持病で毎週通院している自分にとっては国民健康保険に入るより親の扶養に入っている方が特なため、ハローワークに行って仕事を探すといったこともしていない。

よってもってただのプー太郎なため、今まではモチベーション高く、会社員時代と同じ生活リズムを、と意気込んで起床リズムを合わせてたが、不眠症のリズムがまた崩れてきたということもあり、起きてはまた寝るという怠惰な感じになってきた。

ちなみにもちろん、失業給付はしっかり受けるべく受給期間延長の手続きは行う予定。ではあるのだが、これもまた医者に書類記入のお願いができていない。。通院の時にすっかり忘れてしまうのである。

本当ならばこの時期梅雨でなんとなく気分が・・・と言いたいところだが、今日もなんやかんやでめっちゃ晴れていて、天気に引きづられ憂鬱なとは言い難い。(まぁ、天気関係なく鬱の流れがくれば何をするのもしんどくなるのだが)

つらつらと言い訳を書いてしまったが、昼近くまで寝て、調べ物するつもりがいつの間にyoutubeを見てしまい、講座がなければそのまま1日が終わってしまう怠惰な生活。他の躁鬱の方々でフリーでやっている方々はどのような生活を送っているのだろうか。

次回からはもう少しまともな内容を書こ。日記だから思ったことを書き残していけばいいんだろうけど。

大人の風邪

ここ2、3年風邪を引くとあっという間に39度近い熱になる。

しかもいつも扁桃腺が腫れるという。体調管理はしていてもその辺に関してはもはやどうしようもない。

手術しちゃえば、という医者もいたり、簡単に手術しない方がいいと言う医者もいたり。どっちがいいのかいまいち良く分からない。

会社勤めの時は毎月のように扁桃腺が腫れるたびに有給を取り、去年なんかはほとんど風邪のために有給を使っていた。

風邪薬は効かないし、逆に処方された薬で薬疹が出たりして、それでまた病院通いということも数回あった。跡が残ってしまい、若干虐待されたような感じ。

と、今日もブログを更新するために昨日まで寝込んでいたため、風邪について綴ってみた。

以上

 

マギの占拠は、本部のそれと同義である。

久しぶりにエヴァを見直した。

やっぱりシビれる。なんというか綺麗事な感じじゃないとこがいい。

エヴァ評を書くほど通ではないので、その辺は深入りしないが、以前見た時と今回感情が若干変化していた。

以前見た5年ほど前は、非常に自分の心情をすごい表してくれてる!って思った。ヤマアラシのジレンマの話が出て来た時には、自分の人との距離感ってこの話がすごいぴったりとハマる!とその時は驚いた。

傷つきたくないから近寄らないのか、傷つくと分かっても人と近づきたいと思うか。あの時はすごいよく考えた。

レイ、シンジ、アスカそれぞれがどこか、人との違いや孤独、距離を感じながら生きている。なんか浅い書き方だけど、心に入り込むことができた。

ただ、今回見た時は、シンジに対しては、入り込むことができなかった。なんか子供過ぎるような気がした。一番なんなら近しい部分があったような気がしてたのに。14歳、一番多感な時期、自己のあり方に模索する繊細な時期。

なんか自分の中でも変化があったのかな。

アスカには感動。Qの最後の「あんた、私は助けてくれないんだ」響く。シンジ〜。

なんだこの中身にない内容は。

自宅での作業って意外と脱線しやすい

課題とか、クラウドソーシングとか色々とやっていると、調べ物が付き物になってくる。

会社員時代は、こういう時、業務中なので当然何も脱線することはないのだが、例え脱線しても、しっかりとしたフィルタリングで動画なんて見ることはなかった。

ただ、そういう環境がなくなると調べていくうちに、どうもそちらに寄せられて行く。動画を見なくても、なぜか人のブログだ、まとめサイトだに引き寄せられて行く。

よろしくない。よろしくない。自制しなければ。

そんなこんなで昨日も2時間、今日も2時間動画を見てしまった。そしてこの時間。やっぱりちゃんとやるには家を出ないとダメかなぁ。。

課題の提出はとりあえず一段落したので、自習を一生懸命しなければ。