ciccioneの日記

30歳を過ぎて見切りで会社を退職した人間が、再び収入を得るような仕事に就けるまでの日々を記録していきたい。

おいしい生活①

こんなタイトルを付けると、またコピーの話のように見えてしまうが、今日は普通に料理の話。

ただ、今回はイタリア人直伝のカンタンパスタが美味すぎる件。

ほんとは日本人には非常に馴染みの薄いポレンタやピッツォッケリと言った料理についても触れてみたいが、まずは王道のパスタについて。

もはやパスタ文化も日本に根付き、普通に各家庭においても作られてきているが、やはりイタリア人の手には勝てない気がする。

パスタ=家庭料理。よって以って、リストランテとかトラットリアとかでもメニューに載っているが、基本イタリア人は外でパスタを食べることはない。もちろん、小生がイタリアに留学をしていた限りの知りうる範囲では、の話だが。

今回はあんまり聞き馴染みのない「オレキエッテ」というパスタを使った料理が美味すぎる件について。

オレキエッテとは、イタリア語で「耳」を意味する言葉で、その名の通り耳のような形をしているのが特徴。

教えてもらったのは、ひどくカンタン。

①パスタを茹でる。パスタと同時にブロッコリーも一緒に茹でてしまう。ブロッコリーはクタクタになるくらい茹でるとより美味しくなってくる。

②オイルベースのソースを作っておく。具材はシンプルにニンニクとオリーブオイル、ちょっとのアンチョビにベーコン。ベーコンはカリカリ手前くらいが食感が楽しめていい。

③茹で汁を少しソースの方に入れてパスタを絡ませやすいようにしておく。

④茹で上がったら、パスタ、ブロッコリー共々湯切りし、ソースに絡めていく。ポイントはヘラでブロッコリーを少し崩しながら絡めていく。

で、終了。

これがとにかく美味い。耳のような形をしているので、そこにソースが絡んでブロコッリーのちょっとクタった食感とパスタの歯ごたえ、カリカリしたベーコンがハーモニーを奏でる。アンチョビのちょっとした塩辛さも味の向こう側に感じられる。ベーコンの赤とブロッコリーの緑も鮮やかで画的にもなかなか映える。ニョッキともペンネとも違う不思議な歯ごたえがたまらない。もちろんこれらで代用することは可能。

これはキャベツパターンもありキャベツパターンはアンチョビがちょっと多め。キャベツの中でも、どちらかというと芽キャベツで作るのが美味しい。

とにかく美味しい。確か南イタリアの風土料理だって話だった。乾燥パスタもいいけど、生の方が、小麦のちょっとトロッとした感じがソースにとろみがついて美味い。

あー食べたくなってきた。確か成城石井でなら売ってた気がする。

そしてよくよく調べたらWikipediaに載っていた。チーン。パクったみたい。

オレッキエッテ - Wikipedia

役員は、いずれ去る。

確かに!というこのコトバは、アパレル企業の93年の求人広告のコピー。

何を示唆しているか個人的な解釈をすると、必ず世代交代がやってくる。今の役員だっていなくなる。だからその座を目指して当社に入りませんか?そんなチャンスがある風土の会社です。

ってことだと思う。

求職活動者も新卒活動している学生も、働く限りは出世したい!できるものならトップにだってなりたい。

そんな心に働きかけるコピーの作りだと思う。

ただ、そこに向けて送ったメッセージというよりも、世のサラリーマンに向けて発しているメッセージ感の方が強く滲み出ているような気がする。

今の役員の座を狙うのは、あんただよって奮い立たせるような風にも捉えられるし、役員の顔色を伺い仕事をしている人に対して、向くべき方向は役員ではないぞ!、というなんか今の国のトップの出来事のよう。なんて政治に絡ませたくないけど。

会社員時代そんな光景をよく目にしたなー。上を向いて仕事をするおじさま方を。そしてその被害にあってたなぁーなんてついつい思ったりしてしまう。

役員は、いずれ去る。役員も退職すれば、ただのおじさん。出世のためそんなおじさんに頭を下げるべきではない!戦え、世のサラリーマン。嚙みつけサラリーマン。と、逃げた男の遠吠え。

何はともあれ、「昔は◯◯会社の役員でした」なんて過去の栄光を振りかざすおじさんにだけはなって欲しくないものです。

夏の儚さ

夏はどこか儚さがある。

こんなに1年の中で開放的になって、みんな自由になる季節なのに。

海、山、川、田舎に帰ればいつもよりも空気がうまい気がする。

都会の中においたって。うだるような暑さであっても、どこか楽しみがある。

水の冷たさ、ビールの美味さ、そんなことに限らず汗をかくことだって

不快のように感じて、「夏だー!」とどっか心の中で夏に心が踊る。

浴衣を見ると心がワクワクし、誘いがあれば虫が光に集まっていくように足取りも軽くなる。

でも、花火を見ると少しセンチになったり、仲間と集まった後もいつもよりも別れが惜しくなる。

何か音が遠くなっていくだけでも、やっぱり少し別れ惜しい何かを感じる。

夏が醸し出す熱の盛り上がりから、現実に引き戻される気分がどこかにあり、

それにどこか心が抵抗しようとしているからだろうか。

だから毎年、暑いとか言いながらも待ち遠しくて、去っていくのが惜しいのだろうか。

夏はなんだか儚い。

 

 

なんて、これからという時に名残惜しい感じの文を書いてどうすんだってーの。

 

あれもこれもほしがるなよ

このタイトルで、知人からご要望のポエムをチャレンジしようかと思ったけど、相田みつをさんの素敵なコトバなので、自分の言葉のようには使わないで感想だけ書こうと思う。

ちらっと飾ってあるカレンダーに書いてあったこのお言葉。ちょっと刺さるものがあった。

体を壊してから、出世とか仕事の内容とか気にせず、会社員生活を過ごすという日々を送っていた。お金がもらえれば御の字と。昔は勝手にライバル意識を持ってがむしゃらに働いてたけど。

ただ、この春内示が出たタイミングで、これまで生きた人生と同じだけの時間を会社で過ごすのかとか、自分の体調を考えると先が想像ができないと思って辞めた。定時にいけないのに外回りの営業で、またかばん持ちからやっていけるのかと。

双極性障害というものの他にADHDの薬が処方されたのもトリガーにはなった。

で、今もちろん心の余裕は間違いなく生まれてるのだが、ほしがらない生活を始めたはずなのに、講座の課題で上位に入れない、公募が当たらない、コンペで勝てないと気づいたら「何でだ?」となりちょっとした焦燥感を感じている。

今は講座に集中する。そう決めたのである。その一方で、上位に入らなければただの無職で価値がないと思ってしまう自分がいる。

そんな時に出会ったのがこのお言葉。「あれもこれもほしがるなよ」、ぐさっと身につまされる。初心に戻ります、相田先生。

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初夏の夢

初夏にはよく夢を見る。きっと眠りが浅いからだろう。

何かに追われる夢、誰かと何か上手くいきそうな夢、人生最後の夢。

思わず独り言を言ってしまって起きることもある。

ただ、なぜだろう。どれも実現するような気迫がある。

もちろん、何もない一日を迎える。

そして朝を迎え、時と共にその夢の輪郭はぼやけていく。

年齢を3で割ってみるという考え方

会社を辞めるとなった時、普段からよくしていただいている方から教えていただいた話。

30過ぎてからの就職は難しいだろうな、特に優れたスキルがあるわけでもないし。まぁ、会社でまた勤める気はないのですが。と話をしていた時に、この言葉を聞いた。

当時の語り口調だとこんな感じ。

31歳(当時)を3で割ると10とちょっと。これを会社の就業時間に重ねて考えてみる。9時始業だから、31歳は10時ちょっと過ぎたくらいじゃない。10時くらいってどんな感じ?もうエンジンがかかってバリバリ働いてる?会議が入ってるかもしれないけど、まだ眠かったり、昨日の疲れを引きずってたりして、怠いなって思ってる時間じゃない?そんなもんよ。全然1日が始まったばかりで、ようやくこれからっていう程度の時間。だから30過ぎると難しくなるとか考えずに、人生まだ10時よ。何でもできんじゃん。

これはなかなか響く言葉だった。

確かに自分は定時出社していても、だいたい30分くらいはアイドリングの時間として費やし、そこからようやくメールを見たりするような会社生活を送っていた。そうなると10時って大したことではない。エンジンすらかかっていない。何ならフレックスを取ってしまえば、10時半までゆっくりできるのである。

ある程度の歳まで行ってから辞めると、人脈やスキルだがなければ、という前提がついてくるけど、もちろんその前提があった方がいいことは絶対的に正しいことだけども、何かを始めるに早いも遅いもないのかもしれない。

別にこの説が面白いところは、「何も始めるのが遅いわけではない」というところではなく、40歳半ばとかになれば13時過ぎくらい。仕事としては確かに午後は忙しいけども、若干満腹中枢が満たされて、ちょっと気持ちに緩みがでる。とか、60歳になれば20時なので、もう帰宅か残業の時間。そう考えると役員とか暇そうにしてんな、とか思ってたけど、もう帰宅しちゃってるんだもんな、って思えば割と納得する。もし役職につかれてる方で、時折偉そうなことを語ってくるようであれば、それは残業だから。人間観察と、人間関係の自分の中での落とし所が見つけやすいのである。

入社3年以内に辞めるということに関しても、その説でいけば通勤の途中で辞めているようなものである。何とも残念。通勤路の混雑具合が分かっただけで、頑張った就活をゼロにするのだから元が取れない。

不思議と納得する人生観。それが年齢を3で割るという考え方なのです。

超完全に受け売りな話ではあるものの、久々に思い出したので、忘れないように書いてみた。

扁桃腺というのはなぜこうも厄介なのか

今月2回目の風邪。1回目はただの風邪でラッキー。いや、風邪引くことはラッキーではないのだが。

この先週末はとうとう扁桃腺の腫れでKO。ほぼ毎月のように扁桃腺が腫れて高熱を出す。ここ最近の頻度は酷い。毎月のようになっている。先月は幸運にも腫れなかった。

病院に傘を杖代わりに行く。待ち時間は1時間。しんどいので診察室の奥のベッドで横にならせてもらう。そして、「腫れてるねぇ、やっぱ手術したら」という話に。

「ん〜、手術か、やっぱ。」と毎回思いながら、しんどいので抗生剤の点滴を打ってもらう。これで翌日くらいからようやく動けるようになる。

手術はなんやかんや痛いらしいし、あんまりオススメしないと他の医者は言うし、紹介状を書いてもらって一度総合病院に相談のつもりで行ったら、「じゃぁ、手術日いつにします?するかしないかはどっちでもいいですけど。」と手術前提で相談にならず。

結局保留。

10日間程度の入院生活は辛い。相部屋で睡眠薬を飲んで寝れるのか。自宅でもうまく寝れない時があるのに。なんてことも考えてしまう。

拘束の苦痛を取るか、毎度の高熱と喉の痛みを取るか。どうでもいいことが悩ましい。なぜ扁桃腺炎と言うのはこうも厄介なのだろう。