ciccioneの日記

30歳を過ぎて見切りで会社を退職した人間が、再び収入を得るような仕事に就けるまでの日々を記録していきたい。

残業ゼロがモチベーションにつながるとは限らない

とある知人がこう述べた。

彼とは病院のカウンセリングで知り合った。集団認知行動療法はハンドルネームのような物を使って行われる。理由は分からないが、個人の特定を避けるのと、第二の自分を持つことで、客観的に自分の過去の出来事を見ることができるからだろう。

彼とは歳も近く、背景が似通っていたため、カウンセリングが終わった後でも連絡を取るようになっていた。

彼は一人暮らしをしているからすぐに職を見つけねばならず、療養も途中のまま仕事に就いた。それでも障害者枠で正社員採用となっていた。

そんな彼が、仕事に就いた僕に言ったのがタイトルの言葉だった。就いた環境もよく、障害に対する理解がしっかりしていて無理をさせない職場だとも言っていた。

ただ、残業をしてもしたいという仕事をさせてもらえない、とも彼は言っていた。

きっとこう書けば、「もっと要領よく仕事をし、営業時間内にやりたいと思うことをやればいい。」と誰もが思うと思う。自分も最初はそう思った。

でも彼がしている仕事を聞いて、少し憐れみも感じた。

正社員として仕事に就いたにも関わらず、引き受けるのは誰がやってもいい単純作業。それは必要なのか?というような期限のない仕事。「杭を打っては抜く」ような仕事と彼は例えていた。隣の派遣の方が仕事をしている。なんなら派遣の仕事の補佐をしていると。

正社員として給料をもらって楽な仕事をしているならいいじゃないか、と思う人もいるだろう。でもマズローの五段階欲求説のように、自己実現の欲求まではいかないまでも承認欲求は欲しい。正社員として採用されたからにはやりたいこともある。そしてそれを提示してくれる人もいる。

ただ目の前には「杭を打っては抜く」ような仕事が待っている。この仕事の意味はなんなのか。誰に正式に提出する訳でもない資料の罫線の太さが違うと言っては修正させられ、修正したら行間がなんか違うと言って戻される。そんな仕事が一日、そして毎日続く。

残業はNG。NGとは言っても期限のない仕事をしている訳だからする意味もない。やりたいことを多少の残業さえできれば着手できる。そんな風に訴えてもNGな限り何も変わらない。NGと言っている人たちは残業をしている。多少の残業をしてもみんなで割ればみんなが早く帰れるじゃないか。そう彼は言っていた。

なんのために働いているのか、誰にとってタメになる仕事をしているのか分からなくなる。

そんな言葉には同情を示さずにはいられなかった。

多少の残業が許されれば、やりたいことができる。人は一日の大半を過ごす仕事にある程度のモチベーションを求めている。それなのにやりたいことができない。仕事にモチベーションが持てないのである。

仕事以外にやりたいことを見つければいい。そんな当たり前のことは分かっている。ただ、昔で言えば窓際族だ。障害になりたくてなった訳ではない。正社員で採用されたからには残したい成果もある。やはり仕事で認められたいのだ。

自分も仕事に就いてからその意味が少し分かる気がする。世の中全般が残業をなくす方向になっている。それ自体はいいことだと思う。いわゆるワークライフバランス。それでもワークが先にくるのである。ワークにモチベーションが持てなければ精神的にもよくはない。

とてもとても難しい問題だと思う。

残業が少ない会社が学生にもウケる中で、こんな背景もあるのかと身につまされた。