ここが凄かったんだ!2度見た「アイスと雨音」74分ワンカットの魅力
最初に述べておく。僕は映画評論家でもないし、映画バカでもない。だから映画の評価をするには忍びない。でもどうしても気になってしまったので、今一度「アイスと雨音」を見た感想を手短に記したいと思う。これから順次公開されていくこの映画、これから見る人にとっての参考になればと思う。前回書いた内容と重複する部分があるが、それもやはり変わらない魅力として捉えてもらえるとありがたい。
1.74分1カットの凄さ
もうこの映画を見た多くの人の感想がツイッターなどで挙げられているので、ここでいちいち書くのもというところではあるが、1ヶ月の出来事を74分で描いている。まずこの決して長くない時間の中でストーリーの起承転結で描く、これだけでも凄いのだが、ここに昼夜がしっかりと描かれているのである。もちろんテロップは入るものの、日付の変わり目などを想(こころ)の独白やさり気ない衣装替えによって、観る者に自然と時間の経過を伝えてくれる。
次に、のめり込んで見た初回には、そこまで凄いと気づかなかったが(正確には、凄いとはもちろん思っていたが)、想の独白や移動の間に演者やMOROHAさん、舞台道具などがカメラワークの中に全く映らず、シーンが綺麗に切り替わっているのである。だからカメラは回りながらも決して違和感のない映像となっている。どういう作りになってるんだ、このスタジオは?という。
2.MOROHAさんの絶妙な入り具合
MOROHAさんが、これまたここぞというシーンで絶妙に入ってくる。それも演者の迫真の演技を邪魔することなく。表情や独白、セリフだけでは表せない演者たちの心情を代弁するかのごとく語りかけてくる。
それはMOROHAさんの音楽でもあり、BGMでもあり、演者たちの葛藤、そして観ている観客たちへの問いかけのように訴えかけてくる。ギター一本とあの揺さぶるような声で。これが効果音などの入らない、ややもすると単調になりかねないこの映画の中で、一つの臨場感を生む効果となっているのである。
決して邪魔をせず、でもしっかりと観る者を引き込む強い声で。
3.加速していくストーリー展開
「舞台は中止になった」この大人の理不尽な一言からクライマックスへ加速して行く。日付もどんどんと変化して行くのもあるのだが、どんどんと”舞台の芝居”=虚構と、”芝居”=リアルがリンクして行くのである。
映画の最初では、ないようであるこの虚構とリアルの境目が、この大人の理不尽から虚構さえリアルになっていく。芝居という虚構の部分を演じることができなくなった主人公たちの思い、演じたいという行きようのない強い思いが、虚構を演じているようでその境目を無くしていく。ないようである境目が、あるようでない状態になっていくのである。
こうなると劇中劇ではなく、少年少女たちの強い渇望、青春となる。劇場から追い出されようともなんとしても劇を演じたい。衣装に着替えながらも劇を演じる。それはあたかも本番前の最終リハをやっているかのように。
あっ・・・これ以上書くとネタバレになるかも。まだまだ吐き出せない魅力がたくさんある。青春のもつ力。若気の至りと言われようが、今後のキャリアに傷がつくと言われようが、この舞台、このチャンスが自分たちには必要なんだ、という主人公たちの強い思いをぜひ劇場で体感してほしい。
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