ciccioneの日記

30歳を過ぎて見切りで会社を退職した人間が、再び収入を得るような仕事に就けるまでの日々を記録していきたい。

心の奥では、門出とは言いたくない。

話は突然やって来た。

「ただいま。」

「おかえりー!」

娘の声が久々に聞こえた。妻と食後の談笑でもしているのだろうか。娘も働きに出て6年目、また仕事の愚痴でも2人で話しているのだろう。我ながらよくしゃべる娘に育てたもんだ。

女子の会話にはなかなか男は入れないものである。とりあえずリビングは素通りして部屋へ上がる。そして風呂に入ってシャワーを浴びる。なぜだろう、我が家は汗をかいて帰って来た父親を見て、一瞬嫌な目をするのである。だからこうやって夕飯を食べる前にシャワーを浴びるのが夏の日課となった。

「風呂出たよ。」

ようやくエアコンのきいたリビングへ。妻が手際よく食事の準備をしてくれる。ビールを一杯を注ごうとしたら娘が、そっと注いでくれた。なんだ明日は雨か。そのまま、何事もなくまた女子2人はさっきの会話の続きを始めた。

普段、私が食事をするときには部屋に上がる娘が、まだ残って話をしている。しかも仕事じゃなくて休みの話のことを。これは明日大雨かもしれない。

とりあえず、女の会話には入れないからテレビをつけようとした。

「でね、お父さん、明日大事な人が来るからあって欲しいの。」

突然の宣言。

「あっ!?」

つい心の声が出て、テレビを消した。この歳で大事な人の話が出て来たら、そう言う話であることぐらい鈍感な父親でも分かる。妻が間髪空けずに援護射撃をして来た。

そうして今、婿候補と思われる男を向かいに座らせているのである。残念ながらいい天気に恵まれた。

そういえば、自分も若い頃あっち側に座ってたっけか?汗をかきながら、必死に会話を探してたっけか。向かいの彼も娘の合いの手を借りながら、話をしている。隣を見れば妻が楽しそうに、うんうんと話を聞いている。もう外堀は埋まったようだ。

昨日の2人の話は、事前会議だったか。こういう時は父親はどういう態度取るのが一般的なんだろうか。娘も28だ。心の中では結婚するのか、なんてちょっと思い始めてた頃でもあったが、あまりにも不意打ちだった。こちらもシミュレーションをしていない。

とりあえず出会いから仕事の話は聞いた。というか勝手に話が進んでいて、それがうわの空の間に右から左に流れた程度ではあるが。どうやら大学時代からの付き合いだったらしい。意外と長く付き合ってたんだな。そしてとうとうその言葉が発せられた。

「お父さん、娘さんと結婚させてください。」

時間がちょっと止まった。私の回答をみんな待っている。躊躇している訳ではない。ただ、あの娘がとうとう結婚か。なんとなく娘との時間が思い出されていく。あの小さくておしゃべりだった娘が、家を出ていくのか。一人娘のこの子が。

その時、横から尻をつままれた。妻の手だった。さっきまで笑顔だった3人がずっと私を見ている。そういえば自分が申し出をするときも、なかなか言い出せなくて妻に尻をつままれて言い出したっけか。よく見たら彼もつままれていたようだ。

でも言葉が見当たらない。せめてお酒ぐらいは用意しておけばよかった、口がもっとなめらかだったかもしれない。でも反対する理由も見当たらない。

「いい娘になれよ、それしか言えん。」

「いい娘ってなによ、お父さん。お嫁さんでしょ。」

「お父さん、私いい娘になるよ。」

妻娘が早速合いの手を入れて来た。まだまだ嫁という言葉に慣れていないし、娘を突然手放す気になれず、せめてもの言葉がそれだった。彼もホッとした様子だった。まぁ、いい彼そうだし。何かあったら帰って来ればいいだけだ。もちろんそんなことがないことが一番いい。それが娘の幸せだ。ちょっと父親には受け入れるのに時間が必要だが。しょうがない。もう一度心の中で思う。

「いい娘になれよ、それしか言えん。」