ciccioneの日記

30歳を過ぎて見切りで会社を退職した人間が、再び収入を得るような仕事に就けるまでの日々を記録していきたい。

『選択』と『年齢』

期限なんてない。きっと転職が一番直近の選択だったと思う。当時31歳。このままでいいのだろうか、そう思って見切りで退職するという「選択」。しかしながらその話をここで書いても面白くないので、ちょっとこれまでの人生を振り返ってみたい。

人生は選択の繰り返し。一番最初に自分の意思でした『選択』は覚えている限りでは小学5年生だったと思う。中学受験をしたいと親に言った時。

今考えれば、なんとも言えない理由での選択だったが、当時は大真面目だった。「兄貴たちと同じ中学には行きたくない。」理由はそれだけ。年子で、いつも誰々の弟と言われてきのが、自分の中で余り嬉しいものではなかった。

小学校では担任が違うからいいけど、中学に上がれば、兄貴が卒業したと同時に自分が入学する。担当教師は長男を担当していた先生になるに違いない。しかも次男もいる。高校受験までは常に誰かの弟、というレッテルを貼られるのが嫌で親に申し出た。

親からは国公立ならいい、という条件の下、受験勉強に目下取り組むことになる。結果、無事受験は合格し、レッテルから逃れられることができた。

残念ながら高校はないので、また高校受験という受験が待っていて、これも公立にということだったので、大学までずっと受験を受け続けるということの始まりだったのだが。

ただ、そこまで込み込みで中学受験を選んだ自分もなんとも競争心に溢れる子供だっただろう、とちょっと自分ながらに思う。高校・大学ももちろん兄貴たちには負けたくないという思いが強くて、彼らより上の学校に行くということを自分に課していた。他の兄弟もこんなもんなのかな。

そして次の大きい選択は、17歳での『高校留学』。行くことではない。行き先によくぞそこを選択したという話。留学自体は兄貴たちも行っていたので、当然負けていられないので、自分も行くことを申し出る。

選んだ国は、ちょっとブログでも書いたが「イタリア」。理由は当時の留学団体で誰も行ったことのない国、絶対英語圏は行きたくない。その中でどこかという話で、料理が好きで歴史が好きで、同じ歴史の長い国なのにどうしてこんなに日本と文化が違うのかが、肌身で知りたいという理由で選んだ。ほんとはもう少し色々あるけど、そんな感じで1年間。

こちらも尖った理由だなって思う。誰の足跡も付いていない国。絶対英語圏には行きたくない。語学留学とか、その後の人生で役に立つからとか、大勢の中の一人になりたくないから、だから英語圏はアウトオブ眼中。よって以って、当然当時行ったのは希望通りの自分一人、出す側も受ける側も初めての日本人だったので、みんな扱いが分からない。

そもそも英語は習ってもイタリア語を高校までの人生の中で習うことはない。今みたいにネットで色々調べられる時代でもなかった。行った街も日本人のいない、PAVIAという街。赤ちゃんが突然知らない国に放り出されるような気分。成田を飛び出す時の不安の顔は当時の写真を見るとなかなかのものである。

留学中はだから相当苦労した。この話を書き出すと1年間の出来事になるので長くなるので割愛するが、帰りは隣に座ってたイタリア人とずっとイタリア語で話しながら帰ってくるぐらい、立派にイタリア人になって帰ってくることはできた。自分も日本人なのに、日本人の顔は随分のっぺりした顔だなってしばらく思ったものである。

帰ってきてからの一番のカルチャーショックは、当たり前の話だけど、日本人はハグをしないということ。高校で、帰国したその日に学校に行き、久しぶりの挨拶で、女子にビスとハグをしたら相当驚かれたのを今でも鮮明に覚えている。もうすっかり日本人に戻ってしまったが、このビスハグ文化だけはなかなか治らない。もちろんしないけど、したい衝動に狩られる。

こんなグローバルな社会になっても、なかなか普段の生活では生かすことのないイタリア語。でも直近で使ったのはなぜかNY。泊まったホテルのエレベーターがなかなか来ない。下に行くのか上に行くのか分からないエレベーター。客用のエレベーターでも普通に乗ってくる清掃のおばちゃんたち。それに業を煮やしたイタリア人のおばあちゃんがぼやいてた。自然とそれに反応し、二人でイタリア語で愚痴る。相手もなんら違和感を感じていない。エレベーターを降りたらそのままciaoでお別れ。

どこで活きるか分からないものである。

さて、『選択』というお題から随分とそれてしまったが、人生の中で比較的ターニングポイントになった『選択』は大きく挙げるとこんな感じになるかと思う。

大学、就活、仕事での駆け引き色々他にもあるけど、今の人生に至る大きな『選択』はこの二つかもしれない。

人生は選択の繰り返し。これからもいろんな『選択』を迫られたり、していくのだろう。そう考えるとなかなか楽しみである。

それにしても振り返ってみると、今は相当丸くなって保守的になった自分に気づかされるものである。