ciccioneの日記

30歳を過ぎて見切りで会社を退職した人間が、再び収入を得るような仕事に就けるまでの日々を記録していきたい。

この夏も、やがてあの夏になる。

ちょっと作業が煮詰まってきたので、またコピーの話だけどブログを着手してみる。

以前も書いた味の素ゼネラルフーヅ(AGF)のコーヒーのコピー。中畑貴志さんが手がけたもの。

夏って、なんで開放的になる季節になのに、ふとセンチメンタルになる瞬間があるのだろうか、と思わされる。当たり前のように毎年やってきて、毎年のように過去になっていく夏。花火大会の時も、一瞬で散る姿を見るとちょっとセンチになる。

さて、誰目線で書かれたのだろうか。青春を謳歌する若者がふと思った言葉のようにも取れるし、お父さんが子供たちを見ながら思ったようにも思える。どちらかというと後者なのかな。お母さんにも取れる。きっと大人になり始めたら誰もが思う、普遍的な心を切り取ったものなのかもしれない。

お父さんだったら、昼下がり、一息入れようと思っている時に出かける様子の子供、出かけようと誘ってくる子供庭で遊んでいる子供を見ながら、いつまで自分の目の前でこの子たちが、思いっきり夏を楽しむ姿を見せてくれるのか。なんか束の間の一息を入れている時に、やってくるちょっとセンチな気持ち。そんな画が浮かぶ。1893年のコピーだから、何かと混沌としていた時代な記憶があるから、ほんとその一息いれるコーヒーの時に家族の様子に思いを寄せる感情が、ふわっと舞い込んでくるんだろうな。

毎日共にし、気分転換に飲むコーヒーだからこそ生まれる感情。だから一日一日を大切にしよう。この毎日飲むAGFのコーヒーと共に。

そんなメッセージのように感じる。これからの季節をちょっと先取りしたコピーを取り上げて見ました。

このコピーで商品を買わすとかではなく、ブランド想起の一番目に残すためのコピー。無理してAIDMAに当てはめるならMに訴求したコピーな気がする。

さ、整理ができたところで、午後の作業に取り掛かろ。