ciccioneの日記

30歳を過ぎて見切りで会社を退職した人間が、再び収入を得るような仕事に就けるまでの日々を記録していきたい。

大変なことが多い人。略して大人という。

最近の愛読書「傑作!広告コピー516」の中に掲載されている佐藤康生さんの安田生命保険の広告コピー。

大人になると仕事、家族、自分の体調管理、親の介護など、何かと学生の時にはなかったことが増え、日々忙しいものや大変なことが多くなってくる。それは歳を取れば、一層いろんなものが乗っかってくる。

大人は大変なんです。だから万が一のためにも、保険に入っておかないと。安田生命は忙しさに沿った保険を用意しています、という内容のコピーなんだと思う。(だから、と入れるとちょっと脅迫みたいになるけど)

でもこのコピー、だから保険に入りましょう、という以上になんかすごい納得感がある。そもそもこの本に記載されているものはどれも秀逸で、素晴らしいコピーばかりなのだが。同じ大人のカテゴリーでも「いろいろ奪うと、大人ができる」なんかも確かにー!ってなる。

今回この佐藤さんのコピーを引っ張ってきたのは、なんとなく自分が大人なのか?とちょっと思っていた節があったから。

最初は、「そんな切り口もあるか!」という感銘と、きっと当時は、多くのおじさんたちが救われたって顔をしたんだろうな、という画が浮かんだ。「だから」っていう感じの角をとって丸くした表現はすごいなぁとか。そんな印象を受けた。そういう状況が当時のターゲットインサイトだったんだろうなと。

とまぁ、そこから派生してというか自分の話に置き換え転じるのだが、仕事で体調を崩して、それが基本ではあるが、まずは仕事を捨てた。ついでに毎朝・毎晩の通勤ラッシュのストレスも捨てた。そういえば会社という人間関係のストレスも捨てた。1日の大半を占めていた大変なことを捨てた。

家族はいるけど、そもそも「養う」家族はいない、家のローンもなければ車のローンもない。一番は躁鬱という病状との付き合いが大変だけど、社会的に大変なものは仕事を辞めることで一気になくなった。収入がないお困りごとはあるけども。

そうなると成人ではあるけど、大人という自覚が薄くなる。自覚が薄くなると、全般的にルーズになってくる。寝たい時に寝ようと思えば寝れるし、昼から酒が飲みたいと思えば好きなだけ飲める。約束も昔のように大概時間が守れない。何かするのにも、会社に迷惑がかかるからとかそんなものもなくなる。(や、何かしたら前職の名前は出るかもしれないけど。)

大人の定義ってなんだろ?って思った時に、この言葉って非常に哲学的に思えてきた。深いなぁと。確かに忙しい人は余裕がない感じが浮かんでしまうけど、大変な人はそれはそれ、といったスタンスで立ち振る舞っていそうなイメージ。大変なことを背負っているからしっかりしなければと意識が働いて、それが大人の魅力に繋がるんだろうなとも思う。

多分今同期に会ったりすれば、もしかしたら相手が後輩でも、落ち着きがあって大人っぽいんだろうな。最近やたら若く見られるのもその経験からくる味が出てないんだろうな。

そう考えると大人って意外と悪くなかったのかもしれない。でも会社を辞めたことは全く後悔はしていないが。やりたい勉強できてるし。

さ、公募の作品に取り掛かろう。

息抜きにこういう傑作と言われるコピーを取り上げて自分なりの解釈を書き残していくのもありかもしれない。