ciccioneの日記

30歳を過ぎて見切りで会社を退職した人間が、再び収入を得るような仕事に就けるまでの日々を記録していきたい。

この時期、やっぱりハイスタ!

夏、ナツ、なつ、夏、ココ〜ナッツ。

出だし全然関係ないけど、この時期はやっぱりハイスタが聴きたくなる。だいぶこないだだけど、久しぶりの新曲が発表されてた。大人ーって感じの曲になってたけど、やっぱりハイスタって感じだった。

でも、思い出の曲はStay Gold。Summer of loveの疾走感も大好き。もう十何年前の曲なのにいまだに聞いてる。この時はバンドにハマってたなぁ、叩くのに。へたっぴなのに、パンク大好きみたいな。学生のころ何回聞いていたことか。ケツメイシとか色々夏の曲あるし、それぞれ思い出はあるけども、ハイスタが一番テンションが上がる。魂ですな。これは。

気づけば昔の曲ばっか聞いてて、あまり最近の曲を知らないかも・・・歳を取るってこういうことか?

とはいえ、やっぱ色褪せないなぁ。弾けてたなぁ、自分。学校のプールで水球したり、日焼けしたり、天気のいい時は、ビールをプールサイドで飲んだりしちゃって。屋上からは花火がよく見えた。夜中には学校に忍び込んで、合宿中の後輩の寝込みを襲って、夜通しゲームをさせたりもした。たこ8。懐かしい。

後輩に、夏ってちょっとセンチなイメージなんですか?って言われてしまったので、ちょっとテンション高かった時期を思い出して書いてみた。や、そもそも懐かしい話をしてる段階で、もう寂しいオジサンになったってことか?

 


Hi-STANDARD - Summer Of Love (Live)


Hi-STANDARD - Stay Gold [OFFICIAL MUSIC VIDEO]

『選択』と『年齢』

期限なんてない。きっと転職が一番直近の選択だったと思う。当時31歳。このままでいいのだろうか、そう思って見切りで退職するという「選択」。しかしながらその話をここで書いても面白くないので、ちょっとこれまでの人生を振り返ってみたい。

人生は選択の繰り返し。一番最初に自分の意思でした『選択』は覚えている限りでは小学5年生だったと思う。中学受験をしたいと親に言った時。

今考えれば、なんとも言えない理由での選択だったが、当時は大真面目だった。「兄貴たちと同じ中学には行きたくない。」理由はそれだけ。年子で、いつも誰々の弟と言われてきのが、自分の中で余り嬉しいものではなかった。

小学校では担任が違うからいいけど、中学に上がれば、兄貴が卒業したと同時に自分が入学する。担当教師は長男を担当していた先生になるに違いない。しかも次男もいる。高校受験までは常に誰かの弟、というレッテルを貼られるのが嫌で親に申し出た。

親からは国公立ならいい、という条件の下、受験勉強に目下取り組むことになる。結果、無事受験は合格し、レッテルから逃れられることができた。

残念ながら高校はないので、また高校受験という受験が待っていて、これも公立にということだったので、大学までずっと受験を受け続けるということの始まりだったのだが。

ただ、そこまで込み込みで中学受験を選んだ自分もなんとも競争心に溢れる子供だっただろう、とちょっと自分ながらに思う。高校・大学ももちろん兄貴たちには負けたくないという思いが強くて、彼らより上の学校に行くということを自分に課していた。他の兄弟もこんなもんなのかな。

そして次の大きい選択は、17歳での『高校留学』。行くことではない。行き先によくぞそこを選択したという話。留学自体は兄貴たちも行っていたので、当然負けていられないので、自分も行くことを申し出る。

選んだ国は、ちょっとブログでも書いたが「イタリア」。理由は当時の留学団体で誰も行ったことのない国、絶対英語圏は行きたくない。その中でどこかという話で、料理が好きで歴史が好きで、同じ歴史の長い国なのにどうしてこんなに日本と文化が違うのかが、肌身で知りたいという理由で選んだ。ほんとはもう少し色々あるけど、そんな感じで1年間。

こちらも尖った理由だなって思う。誰の足跡も付いていない国。絶対英語圏には行きたくない。語学留学とか、その後の人生で役に立つからとか、大勢の中の一人になりたくないから、だから英語圏はアウトオブ眼中。よって以って、当然当時行ったのは希望通りの自分一人、出す側も受ける側も初めての日本人だったので、みんな扱いが分からない。

そもそも英語は習ってもイタリア語を高校までの人生の中で習うことはない。今みたいにネットで色々調べられる時代でもなかった。行った街も日本人のいない、PAVIAという街。赤ちゃんが突然知らない国に放り出されるような気分。成田を飛び出す時の不安の顔は当時の写真を見るとなかなかのものである。

留学中はだから相当苦労した。この話を書き出すと1年間の出来事になるので長くなるので割愛するが、帰りは隣に座ってたイタリア人とずっとイタリア語で話しながら帰ってくるぐらい、立派にイタリア人になって帰ってくることはできた。自分も日本人なのに、日本人の顔は随分のっぺりした顔だなってしばらく思ったものである。

帰ってきてからの一番のカルチャーショックは、当たり前の話だけど、日本人はハグをしないということ。高校で、帰国したその日に学校に行き、久しぶりの挨拶で、女子にビスとハグをしたら相当驚かれたのを今でも鮮明に覚えている。もうすっかり日本人に戻ってしまったが、このビスハグ文化だけはなかなか治らない。もちろんしないけど、したい衝動に狩られる。

こんなグローバルな社会になっても、なかなか普段の生活では生かすことのないイタリア語。でも直近で使ったのはなぜかNY。泊まったホテルのエレベーターがなかなか来ない。下に行くのか上に行くのか分からないエレベーター。客用のエレベーターでも普通に乗ってくる清掃のおばちゃんたち。それに業を煮やしたイタリア人のおばあちゃんがぼやいてた。自然とそれに反応し、二人でイタリア語で愚痴る。相手もなんら違和感を感じていない。エレベーターを降りたらそのままciaoでお別れ。

どこで活きるか分からないものである。

さて、『選択』というお題から随分とそれてしまったが、人生の中で比較的ターニングポイントになった『選択』は大きく挙げるとこんな感じになるかと思う。

大学、就活、仕事での駆け引き色々他にもあるけど、今の人生に至る大きな『選択』はこの二つかもしれない。

人生は選択の繰り返し。これからもいろんな『選択』を迫られたり、していくのだろう。そう考えるとなかなか楽しみである。

それにしても振り返ってみると、今は相当丸くなって保守的になった自分に気づかされるものである。

 

久し振りの完全不眠。

会社を辞めてから、結構睡眠は比較的安定していた。とはいえ、中途覚醒だったり、早朝覚醒は続いているが、寝つきは良くなっていた。

ただ、今日は久しぶりに無睡のまま朝を迎えた。睡眠薬5錠、他の人じゃぽっくり寝て、起きるのが辛くなるくらいの量らしいのだが、それがないと寝れないし、今日は寝れなかった。

こんな時の6時間、7時間の時の流れが遅くてたまらない。またまた風邪を引いて喉を痛めているし、抵抗しないのが一番だが、寝れないとフラストレーションが溜まってくるので、タバコを今日は2本、お酒もワインを1杯頂戴する。

心理カウンセラーの友人は、タバコを断ち切ったのだが、タバコは逆に覚醒させるし、お酒も眠りの質が悪くなる、と分かっていることを言ってくる。

分かっているのだが、このフラストレーションを、どう夜中断ち切ればいいのだろう。強い酒でもっても、もうこの1年寝れなくなってきている。タバコはそれで寝れなくてもいいのだが、気分転換にはなる。

タバコなぞいつだって辞められる、と思っているのだが、こういうことがあるので結局辞められていない。そして治りかけの喉をまた痛めるという悪循環。

八百万の神の中に睡眠の神様がいるのであれば、布団に入ったら速攻で寝れる人たちの才能を授けて欲しいものである。巷で良くやる快眠だ、不眠解消だの方法は大概試したが効果はない。

マジで朝からどうでもいい内容。

死ぬわけではない。それでも生きていこう、自分。

おいしい生活①

こんなタイトルを付けると、またコピーの話のように見えてしまうが、今日は普通に料理の話。

ただ、今回はイタリア人直伝のカンタンパスタが美味すぎる件。

ほんとは日本人には非常に馴染みの薄いポレンタやピッツォッケリと言った料理についても触れてみたいが、まずは王道のパスタについて。

もはやパスタ文化も日本に根付き、普通に各家庭においても作られてきているが、やはりイタリア人の手には勝てない気がする。

パスタ=家庭料理。よって以って、リストランテとかトラットリアとかでもメニューに載っているが、基本イタリア人は外でパスタを食べることはない。もちろん、小生がイタリアに留学をしていた限りの知りうる範囲では、の話だが。

今回はあんまり聞き馴染みのない「オレキエッテ」というパスタを使った料理が美味すぎる件について。

オレキエッテとは、イタリア語で「耳」を意味する言葉で、その名の通り耳のような形をしているのが特徴。

教えてもらったのは、ひどくカンタン。

①パスタを茹でる。パスタと同時にブロッコリーも一緒に茹でてしまう。ブロッコリーはクタクタになるくらい茹でるとより美味しくなってくる。

②オイルベースのソースを作っておく。具材はシンプルにニンニクとオリーブオイル、ちょっとのアンチョビにベーコン。ベーコンはカリカリ手前くらいが食感が楽しめていい。

③茹で汁を少しソースの方に入れてパスタを絡ませやすいようにしておく。

④茹で上がったら、パスタ、ブロッコリー共々湯切りし、ソースに絡めていく。ポイントはヘラでブロッコリーを少し崩しながら絡めていく。

で、終了。

これがとにかく美味い。耳のような形をしているので、そこにソースが絡んでブロコッリーのちょっとクタった食感とパスタの歯ごたえ、カリカリしたベーコンがハーモニーを奏でる。アンチョビのちょっとした塩辛さも味の向こう側に感じられる。ベーコンの赤とブロッコリーの緑も鮮やかで画的にもなかなか映える。ニョッキともペンネとも違う不思議な歯ごたえがたまらない。もちろんこれらで代用することは可能。

これはキャベツパターンもありキャベツパターンはアンチョビがちょっと多め。キャベツの中でも、どちらかというと芽キャベツで作るのが美味しい。

とにかく美味しい。確か南イタリアの風土料理だって話だった。乾燥パスタもいいけど、生の方が、小麦のちょっとトロッとした感じがソースにとろみがついて美味い。

あー食べたくなってきた。確か成城石井でなら売ってた気がする。

そしてよくよく調べたらWikipediaに載っていた。チーン。パクったみたい。

オレッキエッテ - Wikipedia

役員は、いずれ去る。

確かに!というこのコトバは、アパレル企業の93年の求人広告のコピー。

何を示唆しているか個人的な解釈をすると、必ず世代交代がやってくる。今の役員だっていなくなる。だからその座を目指して当社に入りませんか?そんなチャンスがある風土の会社です。

ってことだと思う。

求職活動者も新卒活動している学生も、働く限りは出世したい!できるものならトップにだってなりたい。

そんな心に働きかけるコピーの作りだと思う。

ただ、そこに向けて送ったメッセージというよりも、世のサラリーマンに向けて発しているメッセージ感の方が強く滲み出ているような気がする。

今の役員の座を狙うのは、あんただよって奮い立たせるような風にも捉えられるし、役員の顔色を伺い仕事をしている人に対して、向くべき方向は役員ではないぞ!、というなんか今の国のトップの出来事のよう。なんて政治に絡ませたくないけど。

会社員時代そんな光景をよく目にしたなー。上を向いて仕事をするおじさま方を。そしてその被害にあってたなぁーなんてついつい思ったりしてしまう。

役員は、いずれ去る。役員も退職すれば、ただのおじさん。出世のためそんなおじさんに頭を下げるべきではない!戦え、世のサラリーマン。嚙みつけサラリーマン。と、逃げた男の遠吠え。

何はともあれ、「昔は◯◯会社の役員でした」なんて過去の栄光を振りかざすおじさんにだけはなって欲しくないものです。

夏の儚さ

夏はどこか儚さがある。

こんなに1年の中で開放的になって、みんな自由になる季節なのに。

海、山、川、田舎に帰ればいつもよりも空気がうまい気がする。

都会の中においたって。うだるような暑さであっても、どこか楽しみがある。

水の冷たさ、ビールの美味さ、そんなことに限らず汗をかくことだって

不快のように感じて、「夏だー!」とどっか心の中で夏に心が踊る。

浴衣を見ると心がワクワクし、誘いがあれば虫が光に集まっていくように足取りも軽くなる。

でも、花火を見ると少しセンチになったり、仲間と集まった後もいつもよりも別れが惜しくなる。

何か音が遠くなっていくだけでも、やっぱり少し別れ惜しい何かを感じる。

夏が醸し出す熱の盛り上がりから、現実に引き戻される気分がどこかにあり、

それにどこか心が抵抗しようとしているからだろうか。

だから毎年、暑いとか言いながらも待ち遠しくて、去っていくのが惜しいのだろうか。

夏はなんだか儚い。

 

 

なんて、これからという時に名残惜しい感じの文を書いてどうすんだってーの。

 

あれもこれもほしがるなよ

このタイトルで、知人からご要望のポエムをチャレンジしようかと思ったけど、相田みつをさんの素敵なコトバなので、自分の言葉のようには使わないで感想だけ書こうと思う。

ちらっと飾ってあるカレンダーに書いてあったこのお言葉。ちょっと刺さるものがあった。

体を壊してから、出世とか仕事の内容とか気にせず、会社員生活を過ごすという日々を送っていた。お金がもらえれば御の字と。昔は勝手にライバル意識を持ってがむしゃらに働いてたけど。

ただ、この春内示が出たタイミングで、これまで生きた人生と同じだけの時間を会社で過ごすのかとか、自分の体調を考えると先が想像ができないと思って辞めた。定時にいけないのに外回りの営業で、またかばん持ちからやっていけるのかと。

双極性障害というものの他にADHDの薬が処方されたのもトリガーにはなった。

で、今もちろん心の余裕は間違いなく生まれてるのだが、ほしがらない生活を始めたはずなのに、講座の課題で上位に入れない、公募が当たらない、コンペで勝てないと気づいたら「何でだ?」となりちょっとした焦燥感を感じている。

今は講座に集中する。そう決めたのである。その一方で、上位に入らなければただの無職で価値がないと思ってしまう自分がいる。

そんな時に出会ったのがこのお言葉。「あれもこれもほしがるなよ」、ぐさっと身につまされる。初心に戻ります、相田先生。

f:id:ciccione:20170704121914j:plain